山口智美・斉藤正美・荻上チキ著『社会運動の戸惑い』発売記念・ステマ大会(ウソ【後編】
こんにちは、みなさま。昨日掲載された前編はどうでしたか? 今日は、昨日につづいて、新著『社会運動の戸惑い:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(山口智美・斉藤正美・荻上チキ共著、ハッシュタグ#tomadoi)の発売を記念して行われた座談会の後編を掲載します。
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(前編よりつづく)
荻上
それぞれの章を簡単にふりかえってみようか。
山口
そうしましょう。
荻上
では一章、僕とともに担当だった山口さん。
山口
歴史的な展開のおさらい+デルフィネタ+バックラッシャー言説分析+フェミニストらのバックラッシャー理解のヘンなところの指摘。ジェンダーフリー概念、男女共同参画概念をめぐるレビューみたいな感じですね。
一章はチキさんと私の共著で、チキさんの言説分析的なところと、私のヒューストンネタとか、女性学のバックラッシュ理解とかをドッキングさせた感じの章。「過激なフェミニズム」とは何だったのか、という問題にも触れています。
小山
ジェンフリ論争がどのようにして急速に終わってしまったのか、というのがおもしろいよね。
山口
うんうん。
荻上
第二次計画が作られて、ふっと消えるように終わったんだよね。燃え尽きたみたいな感じ。一方で、その頃ようやく、フェミ側が「対抗だー!」みたいな情熱をもやしだすという。
山口
そう。対抗だーといいはじめた頃はバックラッシャー側は興味がすでになかったみたいな。ここで指しているフェミは、主に学問フェミね。
荻上
でもこの頃からネット上での保守運動が盛り上がってきて、話題も変わってきた。
小山
本書でも何度か触れられているように、もともと教科書問題で草の根保守的なもりあがりがあって、それが教科書採択で現状維持というか教科書利権の壁にぶちあたって停滞して、そのあとに、「過激なフェミニズム」が敵として見出された。
山口
「新しい歴史教科書をつくる会」をテーマとした小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム』と、そこでつながってくる。
小山
でも教科書問題も、そもそもは慰安婦問題からはじまっていて、ジェンフリの後でまたそっちに戻っていって、いまの外国人排斥とか嫌韓とかに繋がっている。ある意味、ぐるぐる回っているみたいな。
山口
そうね。
荻上
厳密には、それぞれプレイヤーは微妙に違うけれどね。
小山
うん。
山口
うん、つながりもあるけど、微妙に違うのよね。
たとえば千葉展正さんが、自由主義史観研究会やってたとかね。そういうつながりはある。
小山
西村修平(主権回復を目指す会)がちょっとだけ登場しているのが、次回作のティーザー広告なのかなあとw
山口
増木重夫さん(教育再生・地方議員百人と市民の会)もかな。
荻上
火が消えたことがわかる証拠に、第三次男女共同参画基本計画をめぐる議論は、本当にもりあがらなかったね。2005年に第二次計画への批判がもりあがあり、『正論』や『世界日報』は、連日連号、批判特集を組んでいたのに、2010年はほぼスルーでしょう。2010年までに会った保守運動の人たちも、「もういいんじゃね?」みたいな感じになっていたものね。計画は5年置きにみなおすことになっているのはみんな知っているのに。
山口
うん、第三次はほんと盛り上がらなかった。
斉藤
第二次が成功したと思っているってことでもあるのでは?
安倍時代でしょう。
山口
いや、そんなに大成功とは思ってないでしょ。とりあえず歯止め程度で。
荻上
成功ということにむりくりした感があるよね。最初は男女共同参画基本法そのものの廃止が目標だ叫んでいたのに、それはさすがにできなかったわけだし。
山口
男女共同参画なんかやっても、もうあまり意味ないって思ったのはあるだろう。
諦め的なものもあるだろうし。そして、逆に、五章で斉藤さんが記しているように、地域での男女共同参画って、保守の人でも推進員になって、自分たちで推進できちゃう状況にさえもなってしまっていたのだから。
斉藤
あまりネタにならないって言っていたよね。人をひきつけられないと。
山口
世界日報のひとが推進する男女共同参画なら、保守にとって何も恐いことはないでしょう。
世界日報元編集委員の鴨野さんが地域の男女共同参画推進員だった、ってネタは、斉藤さんが女性学会で報告したのに、驚くほどに反応がなくて、誰も気にしてくれなかったのにはびっくりしたけど。
斉藤
あれは不思議でしたー。
小山
あと、日本時事評論の山口敏昭編集長も言っているように、保守運動だって、女性を本気で怒らせるほどにはできない。
山口
うん、日本時事評論だって読者の多くが女性だったりするし、運動を支えているのが女性だからね。
小山
けっこう、女性が支えているよね。
山口
そうそう。
斉藤
宗教系は特にそれはいえるんではないかね。布教の冊子もって歩いているの常に女性だし。
山口
この本で一つ後悔するのは、あとがきにもかいたけど、もっと女性に取材したかったということだな。
荻上
これは具体的に誰とは書いてないと思うけれど、取材の過程ではいろんなことを聞いたり、いろんな風景をみたよね。「女性の社会進出を叫び過ぎるな」と言った論調を張っている人でも、奥様はパートで働かないといけないんですよねと話していたり。
山口
そうそう。みな働いているのよねえ。
斉藤
そうなのよ。
荻上
みんな、それぞれの「言説」の通りに生きているわけじゃないし、思想に忠実に、あるいはラディカルに生きることがベストだというわけでもないんだよね、実は。じゃあ第二章、これも山口さん。
山口
はい。山口県宇部市の「男らしさ、女らしさを否定せず」「専業主婦を否定せず」という文言がはいった、「バックラッシュ条例」とフェミニストらによばれた条例づくりをめぐる章です。
小山
山口編集長萌えの章。
山口
萌えw
日本時事評論がこの宇部の条例をめぐる運動で大きな役割を果たしたので、かなりの焦点をあてている。とくに山口敏昭編集長。彼がほぼひとりで男女共同参画関連の記事を担当していた。で、日本時事評論の人たちとバーベキューしたり、観光につれていっていただいたりしたので、そういった経験からみえてきたことなども記述している。
斉藤
山口編集長という一人の力で、これだけの影響力が行使できるのか、そしてだれもそのことを掘り起こそうとしないのかという問いの章でもある。山口編集長は謙虚な人で、自分がやりました、やりましたと言わないのよね。
山口
そう。それほどに山口編集長の力は大きかったと思う。決して前に出ようとはしない人だけど。
小山
日本時事評論が作ったあのビラの「ひなまつり」イラストが、「ジェンダーフリーがひなまつりを否定している実例」として(間違って)利用されたりしていて、ひどいことになってたんだけど。
山口
そうそう。あのイラストはものすごい効果を発揮したのよねえ。あれも山口編集長の仕事でした。
小山
二章から三章へのつながりが、この本で一番面白いところだと思うのね。純粋に読み物として。
荻上
激しく同意。
小山
モデル条例として推進されてきたものに反発して作ったものが、またよそからきたモデル条例となってしまって、さらに別の土地で反発を受けるという。
山口
うんうん。苦しいところだったよね。
小山
権威主義に反発して生まれたものが権威になってしまう(あるいは、権威とみなされてしまう)という、よく見る風景だと思うんだけど。
山口
いちおうこれが、第二、三章の番外編みたいなものだな。山口編集長萌えシリーズのw
英文なんだけど、上関原子力発電所の建設をめぐる運動に関して書いた文章。とくに日本時事評論や山口編集長が関わってきた、上関原子力発電所建設推進の運動についてもお話聞かせていただいたので、それについて書きました。
小山
おお。
荻上
ここは、「条例を作る過程」そのものが重要なのだと思わされる章の流れだよね。コンセンサスづくりとガバナンスが問われる。
斉藤
過程なのよね、大事なのは。
山口
そうだねえ。
あと、二章の宇部市の小柴さんや、三章の千葉県の出納さんら「平等条例ネット」の方々のお話もひそかに重要だったりする。条例づくりのみならず、男女共同参画やフェミニズムの方向性について、現場で運動に地道に関わってきた人たちからの重要な問題提起がある。そして、四章にでてくる、都城市で様々な形で条例づくりに関わった市民たちの声や思い。五章の福井県の「市民オンブズマン福井」の動きも、地味だけれど重要なものだったと思う。
小山
でも、わたしは大沢真理さんの方も、否定はできないのよ。相手が気づかないうちに一気に成立させてしまえ、既成事実にしてしまえ、っていうのも一つの戦略で。
山口
そうなのよね。
いちおう基本法はそれでできたんだけど、その後の展開をどこまで予測したのかな。
斉藤
基本法から条例づくりへというのは流れとして見ていたでしょう。
山口
例えば、条例づくり運動への反発があの後起きてくるということや、地域の男女共同参画を保守系の人たち、たとえば世界日報のひとが推進したりするようになる状況というのは。そして、保守側が「市民」概念を使って、条例に反対してくるというのは。そのあたり、どこまで考えていたのかなと。
斉藤
「市民参加」もそうだね。審議会方式とかも逆に利用していくことになる。
小山
大沢さんの悪いのは、そうやって姑息に基本法を成立させたあとに、それを(おそらく誇張ぎみに)ネタばらししちゃうところw で、攻撃のかっこうの口実を与えてしまっている。
荻上
うーん。もう勝ったつもりでいる、ということなんかもしれないよね。結果的に、一番「炎上」した発言のひとつになった。
山口
あのネタばらしはねえ。
地方が見えてなかったのかもしれない。中央でできてしまえばもう完璧で、あとは地方はトップダウンでおろすのみだ、と考えたのだろうか。
荻上
それは翻って、国から地方へのトップダウンを内面化していることじゃないか、ということでもあるよ。本丸はもう抑えたんだ、という意識があるというか。
斉藤
国から地方へのトップダウンを内面化は、ほんとにそうで、相対化ができていないと思う。
山口
あと、宇部に関する第二章に戻るけど、社会的活動の一環として日本時事評論を発行している新生佛教教団について、限界はあれど、あそこまで書けたのは本当によかったと思っている。これは日本時事評論の皆さんにかなり感謝しなくてはいけない。
斉藤
宗教保守のことを書いているというのも、この本のポイントなのよね。
小山
新生佛教、ちゃんと書いてあって良かったとわたしも思う。中途半端な取材では、「変な宗教による陰謀論」を主張しているみたいに解釈されちゃうおそれがあるものね。
山口
これは書けないんじゃないかと最後まで心配したところでした。
でもやっぱり時間かけた成果があったなあと思う。
斉藤
一番早くから調査を手がけた章だよね。
荻上
あまり知られてない保守運動体や宗教の解説を、短くはあるけれど伝えられたので、宗教学者の人や歴史研究の人がどう読むかも実は気になっているよね。
小山
地方自治専門の政治学者にもコメントとってきてください。>チキ
斉藤
お願いします。>チキさん
荻上
ぱっとはうかばんが、が、がんばる。
小山
千葉さんが、千葉県条例については意外とまともだった点もおどろきw
山口
そう、まともだったのよ。千葉さんの本も、実は千葉県条例のところはすごく参考になった。
斉藤
千葉さんのデルフィ解釈とかも感心したし、千葉さん、真面目勉強派だった。
山口
それと西村修平さんが、千葉県の条例反対運動にもからんでいたというのは、お話伺ってちょっと驚いたこと。目立った動きはしてなかったから、知らなかった。
荻上
二→三→四章は、各自治体の条例づくりの過程を記述していて、五章では関連する係争もとりあげたのだ。
山口
四、五章が世界日報がらみなのよね。
荻上
五章のキモは、二、三、四章を受けて、斉藤さんや、世界日報の鴨野さんが、実際に推進員になるということから見えてくる実態を書いたとこだよね。
山口
うん。
小山
世界日報も、ただ世界日報という新聞があるというだけじゃなくて、その中で動いている人にきちんと取材して書かれてて良かった。あと、推進員制度が実態としてどうなってるかなんて、考えたこともなかったし。
斉藤
はい、五章は鴨野男女共同参画推進員ショックに発した章です。地道にもぐって活動するってえらいなと。
小山
鴨野萌え章。
荻上
萌えすぎだろw
小山
保守おじさん総萌え本。
山口
近藤さんも真面目な人っぽかったしねえ。
斉藤
世界日報のところ、書けるか書けないか、相当ぎりぎりなところまで折衝してようやくここまで表に出ることになったのです。
山口
五章にある、近藤さんこそフェミニストだという、ほかの推進員の人の解釈はちょっと驚いたけど。
斉藤
近藤さんもほんと真面目ないいおじさんです。
荻上
条例を作る過程を見てきた二→四章から、さらには条例以降の運営の面について切り込めたと思う。条例づくりから、条例の利用のされ方を描くことで、「条例そのもの」の外側にある効果を描き出すのが意図のひとつ。
山口
世界日報についても全部は書けないところもあったけど、とりあえずこれだけ書けたのはよかったと思う。
斉藤
そう思います。それについていえば、ご本人にお名前出しや原稿の確認作業をしてもらうのも膨大な作業だったわね。
山口
草稿ができた時点で、再度ご本人にお名前だしの可否を伺って確認し、ご希望された場合には内容もご確認いただくという方法を今回の本ではとったんだけど、それが常にどんなプロジェクトでも使える方法かというと違うとは思う。そのための限界も当然あった。でも、確認する過程で重要な発見があったりもした。
荻上
ジャーナリズムだと、本人に原稿を見せないことで公正さを確保する、というのもあるものね。
山口
あるある。そこが難しいところで。
荻上
でもぼくらは、彼らについて間違えたことを書いてしまうことも恐れたから、見てもらった。
山口
そうだね。
荻上
保守運動について、あてずっぽうな議論をするのではなく、実証的に明らかにしようと提案している本書の基礎事実が違っていたら、「ちゃんとした理解」にはならない。だから確認作業を丁寧に行うことにしたんだけど、もちろんそれが、「彼ら側の出したい情報を垂れ流す」ことにならないように注意しなくちゃいけなかったので、大変だったね。
山口
そして、もちろんご本人の許可がいただければだけれども、お名前を出させていただく、という方法を選んだ。A市のBさんではなく、例えば「都城市の池江さん」など、お名前を出させていただいて、そしてそれぞれの人の顔もみえてくれば、と思いつつ書いた。名前がない、どこにでもいる人ではなく、異なる歴史や文化、状況をもったそれぞれの土地で、さまざまな背景や思いをもって動いている、名前をもった個人として描きたかった。
斉藤
四章は、地方都市における条例作りの現場がどうなっているか、登場人物が多数いて複雑に利害や思いが関わり合う中で事態は進んでいくということで、決して、条例は「ジェンダー」という用語が入ってよかったとかいう、条文ありきではないということが伝わったらと。地方における男女共同参画の現場のリアリティって、知られていないんだなと今日の話で改めて思った。
それと都城は、アツイ人が多く楽しいところでした−。焼酎もおいしいし。
山口
焼酎は重要。霧島酒造が地元の焼酎会社ということもあり、皆「霧島」をお湯割りで飲んでいたよね。我々も地元の方々のお話を伺う際、「霧島」のお湯割りを飲みつつとなることも多かった。
結果として飲んだくれてカラオケしてる章みたいな印象になってる危険性もなきにしもあらずだがw
斉藤
上からトップダウンで下ろすことをモデル条例として推奨したフェミニズムは間違っていると思う。その間違いを踏襲せずに、独自のやり方をしていった都城の例は貴重であり、そこから学ぶことは多い。例え、保守側が組み換えた条例を再制定したにしろ、都城で起きたことから学ぶことは大きい。それを記録できたことは意味があると思っている。
山口
地方都市の都城が、性的少数者の人権、という国よりも進んだことをやったのよね。そして、上からおりてきた用語や条文をそのままいれこむとかではなく、自分たちの問題としてどうやってかみくだいて、いろいろな立場の人たちが考えて、条例をつくっていったかも重要だった。
荻上
条例が変わったことによる、周囲のひとの手のひら返しの話も重要だと思うよ。運用とコンセンサスづくりが重要だからこそ、条例から文言が消えただけで、「もう(条例から性的少数者に関する文言が)なくなった以上、あなたたち、守らなくていいんでしょ」的なつっけんどんなことを言っちゃうというのは、やっぱ驚きだし、条例のみえない効果というのも実感したし。
山口
それと首長次第で、どうにでも転ぶ行政ってのがすごくよくあらわれた事例だったとも思う。パブコメなんてどうにでも使えるしね。
あとは、共産党の独自な動きも注目かと。都城の共産党はひじょうに柔軟だった。
それと、尾辻かな子さん(元大阪府議)のところ。原稿確認作業の際、尾辻さんは辛抱強く何度もやりとりしてくれて、結果、オッケーだしてくださった。尾辻さんには本当に感謝しています。
小山
尾辻さん本人というか、「尾辻さん現象」と呼ぶべきものなのかもしれないけど、この本の中では一番批判されている気がする。
山口
きびしい批判かとは思うけど、それも地元で聞いた声ではあるのも確かで。
荻上
尾辻さんがこうして足を運んでまで出向くということを否定しているわけじゃないんだよね。
山口
うん、否定してるわけじゃない。ただ、それがどういう状況を引き起すか、ってのは、ほんとに難しいと。
荻上
地方行政には地域ごとのリアリティがあって、「外からの声に左右されること」への抵抗がもともとある中で、どう受け止められる可能性があるのか、を記したものだから。
山口
この本を貫くもうひとつのテーマかもね。
小山
尾辻さんにしてみれば、性的少数者の政治家はほかにいたとしても、性的少数者の代表として発言している政治家はほとんどいないわけで、自分が出ていかなければいけない、という意識というか、焦りはあったんだと思うんだよね。
山口
うん。
荻上
大事なことだとおもうよ。
山口
そう思う。尾辻さんの行動がなかったら都城の条例についてほとんど知らずに終わっていた人は多いと思うもの。
小山
それへの反発のなかには、ただ外部から来たというだけじゃなくて、ホモフォビアも入っているとは思うけど。
山口
ホモフォビアもあって反発した人もいるし、そうじゃない理由からの人もいたと思う。
このへん、斉藤さんが以前、全米女性学会で発表していた、富山パン問題ともつながるのよね。
斉藤
富山パン問題、学校給食で、女生徒用のパンが数ミリ薄いという問題でも、東京の女性学者が抗議を叫んで、逆に問題をこじらせたってことがあった。それでわたしは外からの声で地方の政治課題に圧力をかけるやり方に疑問を感じるようになった。
あと、手のひら返しの話だけど、それって行政と組んでやっていく政策現場では日常茶飯事で、逆にいえばそういう複雑な地方政治の状況ってあまり書かれていないのかなとも思った。地方の政策に関わる中で日々起きているもろもろを具体的に取材という形で書けたのはよかったと思っている。わたしにとってはそう目新しいことではないことも、表に出せたことがよかった。これから議論になっていけばいいし、さらに発展的に議論されていくように願う。
山口
うん。
斉藤
フィールドワークってこと自体、私には手探りでした。
山口
斉藤さんはとくに最初は、フィールドワークという手法に抵抗もってたものね。
斉藤
体当たり的なやり方でやるしかないって感じでしたわ。
小山
フィールドと呼べば、バーベキューもカラオケも含まれてしまうという。
斉藤
w
山口
そうそうw
でもバーベキューやカラオケじゃないとわからなかったことってたくさんあって、インタビューだけじゃやっぱり足りなかったとも思った。
荻上
言葉選びは悩むところはおおかったね。
山口
カタカナ語や専門用語のあやしげな利用をかなり批判している本なので、極力そうした言葉は避けて書くように努力した。
小山
四章がほかの章と違うと思うのは、ここだけ、性的少数者の当事者団体の話を聴いているところ。
山口
うん。
小山
福井の件では上野の話は聞いていないけど、上野はおもいっきり強者だし、フェミニズム団体の話を聞くのともちょっと違う。フェミニズム団体は、あくまで「そういう主張の人たち」でしょ。女性というくくりなら、人口の半分いるわけで、保守団体だって女性全体を無視することはできない。
でも四章だけは、圧倒的多数を占めるマジョリティが勝手に決める話に、マイノリティがどう関わり、その結果として影響を受けたかという話。
山口
現在進行中の調査とちょっと重なるのかな。
小山
そうそう、いまみなさんがやっている、「行動する保守」およびそれによって影響を受けるコミュニティの研究に繋がると思うの。そこで、メソドロジーとしてちょっと違ったものが必要になると思うので。
山口
うん。四章はほんとにこの本にあってよかった、と思う。都城の調査に同行し第四章の加筆もしてくれたマサキからみた都城の話もそのうち書いてもらおう。
荻上
時間が押しているから、ではぼちぼち、六章に行きましょうか。
山口
はいそうしよう。
小山
第六章、なんかすごく重いんだけど。
斉藤
重くてすみません。
小山
べつに書き方が悪いというわけじゃなくて、ヌエック(国立女性教育会館)の予算規模とか、不便さとか読むと、こりゃヌエック叩かれるわ、って思ってしまうし、行政フェミだけど、フェミニズムの側が体制として防戦一方になる話で、気持ちが重い。
荻上
当時の係争の中で、箱物行政の是非については応答できてなかったしね。僕は少し触れたつもりでいたんだけれど、「予算が10兆!」みたいな言い回しが独り歩きすることへの応答という方に集中しちゃった。
本書の異議申し立て部分について解説していおくと、そもそも男女共同参画事業においても、費用対効果や意義の分析は行われるべきだけれど、「男女共同参画の象徴=守らねば」みたいな形になっていて議論がしにくくなり、文字通りの既得権益化していることを斉藤さんの章で特に批判してるのよね。
斉藤
六章は、シノドスで書いた「国立女性教育会館(NWEC)の事業仕分けに見る、<箱モノ設置主義>に席巻されてきた男女共同参画政策の限界」で提示した、女性教育会館とはなにか、女性教育とは何かという視点が始まりだった。でも、その後、文科省の審議会である、ヌエックの在り方検討会などの進展があって、かなり原稿を書き換えることになった。
山口
進展はあったけど、結果は同じだった。
斉藤
うん、結論は同じ。現状維持ということで。戦略的推進機関という位置づけが新しいだけと。
その簡単なことをすごい用語を使って説明するから誰も読みたくないものになってしまうw
だから書いていてもういやになってしまった。
山口
「戦略的推進機関」という言葉の定義もよくわからないままで。
斉藤
そうなんですよー。定義なしよ。
小山
これはすごい労作だと思うよ。行政文書をじっくり読まないと書けないもの。
山口
うんそう思う。いやだいやだと投げ出そうとする斉藤さんをなだめすかした私の苦労をわかってくださいw
斉藤
w
山口
構成も何度もやり直してねえ。
斉藤
そうそう、構成と校正については山口さんのお世話になりました。
小山
こんなの(の元となった記事)を載せるシノドスも、読者を無視しているとしか思えないw
山口
シノドス読者層とどうみてもずれているw
小山
てか、この章の読者層がここにいる四人以外にいるのか怪しいw
荻上
そんなことねえよ!
山口
男女共同参画界隈の人は読むとは思うのよ。読んだ結果怒るかもしれないけどw
斉藤
しかし、女性センターの歴史とか意義とかについて、正面から検証したものがないことだけはよくわかった。
小山
「そんなこといったって、せっかく勝ち取ったものを否定するのか」みたいな反応かな。
山口
そうだろうねえ。
もっと根本的に考えようよ、っていう問題提起なんだけど。
斉藤
怒らせるものであるとは思う。確信犯なのは、やはりこれもフェミニズムへの危機感と自省心からとしか言いようがない。
山口
この章、一番重たくて歴史っぽいとみせかけておいて、実は一番現在についてのことなのよね。
小山
もともと運動が求めてきたものではないだろうに、できてしまった時点で、守らなければいけない「運動の成果」になってしまう。
斉藤
自分がどっぷり浸かってきた、要望もしたし、完成も喜んだ女性センターとは何だったのかと。
山口
うんうんまさに。だから、怒らせるとしたらこの章と、次の七章かなと思う。
斉藤
五章も怒らせるわよ、十分に。
小山
本全体怒りの対象だろうw
山口
怒った結果、反応してほしいんだよね。
斉藤
そこですそこです。
小山
ヌエックの必要性や有効性はこれだ、みたいな反論は聞いてみたい。
山口
どんなにdisってもいいから、とにかく反論してもらって、議論したい。
荻上
というわけで、七章にいきましょう。この章は、「バックラッシュ」以降のフェミニズムについて触れています。WAN(ウィメンズアクションネットワーク)とかね。
斉藤
はい。
山口
GSML(ジェンダースタディーズ・メーリングリスト)も。
小山
あっ、それって某秘密(以下略)...
荻上
これはでも、実は一章と対になっていて、総覧的な意味と、何が失われたのかのメディア視点バージョンになっています。
山口
七章は、行政にとりこまれた結果、表現規制への批判的視点を失っていった主流フェミニズムの姿について。積極的にジェンダーチェックを推進し、その流れでメディアもチェックしちゃうよ〜みたいな方向に流れていってしまった面がある。
小山
ジェンダーチェックは、表現規制とはまた違うのでは。表現規制にはやっぱり慎重なんじゃないかと思うけど。
山口
いや、一部主流フェミはまったく慎重じゃなくなってたと思う。
慎重な人たちもたくさんいたんだけど、なんかそのラインが切れちゃったっていうか、声が表に出づらくなってたというか。とくに条例にいれはじめた段階で...
小山
ああ、『男女共同参画推進条例のつくり方』あたりね。
山口
そう、『つくり方』本。
斉藤
表現規制になるという発想はなかったと思う。ジェンダーチェック。
山口
でも斉藤さんが参加した、東京女性財団のメディアジェンダーチェックのプロジェクトあたりで怪しくなってたでしょう。
斉藤
それが、フェミが権力に無頓着だったところだと思った。行政と連携したことがどういう意味か、それを考えてこなかった。だから、行政がする表現についての推奨本に、まったく無自覚にのっていったのが真実かと思う。メディアの専門家たちがそうだった。
山口
というかメディアとジェンダーの専門家が一番ひどかったと思う。
斉藤
東京都女性財団のメディアチェック本の企画に参加させられて見えたところです。
荻上
パターナリスティックなフェミニズム、という形が露骨になったということね。おかしな言葉だけど。
斉藤
専門家って実は一番、核心にあるものに疎いといとかあるよね。
山口
あとは、七章では、フェミニズムのメディア、ネット利用の変遷をフォローして、それがいかに中央発信型に移行していってしまったかを扱っている。
斉藤
中央集権になっていくことと並行して、フェミのツールとしてのメディアも手中に収めていく過程です。
荻上
行政パンフ化と同時進行で、市民運動の体力が削がれていったという話もね。
斉藤
あるよね。これも大事なところ。
小山
フェミニズムのインターネットメディア利用みたいな話でGSMLとWANという例が出てくるわけですが、どっちも同じ人たちが中心にいて、閉鎖的なところがあって。
山口
どっちも学者がトップにいるのよね。
小山
中央集権的というか、WANはもうちょっとSNSっぽくするのかと思ったら、全然そっちに行かなかった。
山口
いかなかったね。
小山
上野さんが天下りしちゃうし。
山口
WANは本当に読者からの意見がきづらいシステムになってる。
小山
GSMLやWANを見る限り、日本のフェミニズムや女性学の中心に居座っている人たちは、いまだに2000年代中盤の「バックラッシュ」との抗争を、歴史の一部として振り返ることができていないと思うのね。
山口
うん、まったくできてないと思う。
斉藤
振り返る必要も感じていないのでは。
小山
「バックラッシュとは何だったのか?」「あの抗争はなんだったのか?」と振り返って歴史化できずに、いまだに、以前と同じバックラッシュ論をやってる。『バックラッシュの生贄』とか。
山口
やってるね。
斉藤
そうね。
山口
『生贄』はそれでも、裁判だったから、文書はみてるほうだと思うのよ。ほかの学者によるバックラッシュ論はさらに壊滅的だもの。
小山
ああ、たしかに。いまだに「オレの考えたジェンダーという言葉の四つの意味を理解しろ」とかやってるし。
斉藤
でもそれを相対化する言説もないから、だれもおかしいと思わないのよね。
山口
ただ、『生贄』にのってる法学者の浅倉むつ子の意見書にある「バックラッシュ」論も、やっぱり学者の論にひきずられているとも思う。浅倉さん自身も学者だからというのもあるかな。
小山
そのあたり本当に、この本で何か変わらないといけないと思う。
山口
ほんと、きっかけになってほしいよね。
もっと現実を具体的にみていこうよ、と。さらに、あるものを守るだけでいいのか、というのも。
斉藤
うん、そのためにもフェミ以外の人にも論評していただきたいぞ。
荻上
では最後に、『社会運動の戸惑い』以降の、現在進行中のプロジェクトの話を少しだけしましょう。実は、フィールドワークは継続中で、まだまだ書けていない話もたくさん残っている。なので、また別の機会に、その成果を発表する予定なんだよね。
山口
現在進行中のプロジェクト、2つあります。
1つは、さらなる女性学の歴史と現在の検証。たとえば複数回行った田嶋陽子さんへのインタビューを、今回の本でほとんど生かせてないのだけれども、そうしたものを生かしつつ、「田嶋フェミニズム」が、主流女性学の中で重要ではないとされてきた、そういう歴史は考え直してみたいなと思っている。
小山
田嶋が重要ではなく、かわりに上野が重要とされてきたみたいな。
荻上
『上野と田嶋(仮)』
山口
そう。まあそれが一つ。で、もうひとつが保守運動のほう。
小山
そっちが聞きたいのよ。この本で取ったアプローチが、そちらでも通用するのか、どう違うのか、と。
山口
それは検討をしっかりしなくちゃいけないところだと思う。そして、私は通用しないと思っている。
小山
大きな課題として考えられるのは、圧倒的少数のマイノリティに向かう攻撃について取り上げる点と、現在進行中の闘争である点。
山口
そうね。あと、研究倫理をめぐる問題をどうやってクリアしていくかということもある。
さらに、今までのフェミニズムへのバックラッシュの調査だと、我々のほかに同様の調査をしてるひとが誰もいなかった。
小山
ああ。
山口
今のは少ないとはいえ、ジャーナリストの安田浩一さん(『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』)や社会学者の樋口直人さんなど、複数名いるわけで、彼らがやっていることの影響がどうしてもモロにでてくる。その難しさもあるよね。逆に利点もあるけど。
小山
安田さんより優しいよ、みたいにw
山口
安田さんが切り開いてくれたものというのは大きい面もあると思う。保守を研究するとか取材するっていうのはアリなんだ、っていうのを、関係者一同にもわからせて、表立ってやってくれたという面で。
小山
なるほど。
山口
ただ、安田さんの取材の影響はほかにもいろいろな面があるわね。樋口さんにしても同様で。
斉藤さんはどう思う?
斉藤
うん、わたしはどっちも体当たりだしw今だと、安田さんや樋口さんのやり方があって。それとは違う面を模索していくみたいになっていると思う。
山口
安田さんや樋口さんのやり方と、もうすでに違ってはいるんだけどね。やっぱり同じやり方してもダメってのは意識はするよね。例えば安田さんの場合、取材の量とか厚さとかではどうひっくりかえっても勝てないし。
斉藤
安田さんは雑誌記者的な取材方法で、生い立ちから出身校まで全部つぶしていく方法だけど、わたしたちはそこまでの時間をかけられないという限界がある。
一方、樋口さんはインタビューを正面から行う方法。忠実に質問していく方式で、街宣とかデモとかには基本的に参加しない方向。
山口
我々が安田さん、樋口さんとも違うことで何ができるのか、っていったら、ひとつにはそれこそフェミニズム的な視点で、女性の関わりについてや、運動におけるジェンダーをめぐる構造なども含めて、扱っていくこと。
もう一つには、日常の一見どうでもよさげにみえることなどもできるだけ聞いていって、そこから考えていく的なところかなあと考えたりしている。フェミニスト的な、日常を大切にするアプローチといえばいいか。ほかにもあると思うんだけど、いろいろ模索中です。
斉藤
在特会(在日特権を許さない市民の会)がウーマンリブ運動に似ている説とかあったよね。メディアを徹底的に意識する運動という意味でも。それに、取材するのなら取材費を払えというのも、在特会とリブは共通しているけど(1971年長野でのリブ合宿では取材費1万円が請求された)、そういう意味だけではなく。
山口
中ピ連に似てると私は思ったのよね。榎美沙子さんだけが突出して名前もでていた中ピ連よりは、代表以外の会員も表立ってでてはいるけど。
斉藤
リブセンなどの、マジョリティのリブ運動に対抗してみたいなキャラとして。
山口
そうそう。
山口
絶対してると思うw
荻上
では、そろそろお時間。みなさま、ひとことずつまとめましょうか。
小山
てか、わたしもうまとめ言っちゃったけどwこの本が、2000年代中盤の「バックラッシュ論争」を振り返るきっかけになったらいいな、と。
山口
うんうん、そうだねえ。
まああと、この本にもほんの少しだけど、例えば今続けている「行動する保守」がらみのリサーチにつらなる登場人物もいたりするので、「バックラッシュ論争」を振り返りつつ、現在に至る状況も考えることができたらとも思います。
小山
ほんとうに、わたしにとっては、直接関わってこなかったけれども、これまで断片的に聞いていたさまざまな調査をまとめて読んでみると、なんかすごい綿密なリサーチしていて、面白くて、一気に読んじゃいました。
山口
ありがとう〜〜。エミさんにそういってもらえると大変に嬉しいわ。
斉藤大先生はまとめコメントは?
斉藤
わたしは、フェミニズム運動と保守運動間の「バックラッシュ」論争の振り返りにとどまらず、広く、社会運動の在り方を考える議論につながるといいなと思っている。だから「社会運動」をタイトルに入れることを提案したわけだし。今、反原発とか、広く運動が関心集めている時代だと思うので。
小山
ああ、タイトルは一見不思議だよね。
チキさんは?
荻上
「戸惑い」「失われた時代」という言葉を提案した僕としては、係争をまとめたこの本が、検証されて活用されることで、運動の可能性などについての議論を活性化して欲しいことや調査に基づいた保守分析が進んでいるなかで、その助けになればいいと思ってる
なので、フェミニズムに興味がある人はもちろんのこと、日本の政治のあり方などに興味ある人などにも読んでほしいな。そんな感じ。
山口
ぱちぱち。
斉藤
山口さんのコメントで最終まとめにしてください。
山口
まとめ的なことはほかの皆さんがすでにいっているので、つけたし的に。
この本、内容のほか、書き方もいろいろ議論して、結果としてアカデミア系ジャーゴンはほぼ排除してストーリーとして読むことを優先して書いた。
あとは、会った人たちがどんな人たちなのか、文章力の限界はあるんだけど、できる限り、人柄みたいなものを描きだせたら、と思って書いてもいる。
そういった、エスノグラフィの書き方の面とか、研究倫理の問題などの議論にもつながったらいいなとも思います。
あと、フェミニストの皆さん、スルーしないでねw
小山
ほんとうにみなさん、今日は長い間ありがとうございました。最初の読者になれて幸せです。
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