『バックラッシュ!』から考えるフェミニズムの行方 featuring 斉藤正美さん・山口智美さん

 こんにちは、みなさま。今日は斉藤正美さん、山口智美さんをお招きして先日行ったチャットを掲載します。山口さんは『バックラッシュ!』執筆者のお一人で、本書では「『ジェンダーフリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」をお書きいただいております。斉藤さんはその山口さんと一緒にサイト「ジェンダーフリーとフェミズム」を運営したり、ブログで丁寧な議論を展開されいる方です。
 それでははりきってどうぞ。

chiki
 本日はゲストに、著者の一人である山口智美さん、そして山口さんと「ジェンダーフリーとフェミズム」というHPを運営している斉藤正美さんをお呼びしています。本日の内容は、斎藤さんによる本書の感想と、山口、斉藤からみた日本フェミニズムの吟味が主題になります。というわけで、(1)雑談からゆるやかに斉藤さんの感想、(2)山口論文とジェンダーフリーの問題、(3)日本フェミニズムの問題と変動、って感じのスケジュールでいきたいと思います。


macska
 わたしは今日は日本フェミ勉強モードです。
 『バックラッシュ!』は、山口さんと長谷川さんがポイントですね。


斉藤
 真面目な話、山口さんと長谷川さんはよかったですよ。


山口
 長谷川さんは本当に書いていただけてよかったです。


chiki
 そうですね。あとはマーティン&ヒューストンインタビューも重要ですね。


斉藤
 そう思います。インタビューのところは、山口論文が先でもよかったかなという印象はありましたが、どうしてインタビューが先だったのですか?


chiki
 二人の語りを引き継いだうえで山口さんに再度日本の状況を整理していただくというように考えていたので、あらかじめああいう配置を予定していたんですよ。


山口
 そうだったのか。初めて知った(笑)


chiki
 仕事の順番も、インタビューの後に自分の論文を書いていましたしね、山口さん。


山口
 ああ、バレてしまった(笑)


斉藤
 ああそうなんですか。わたしは逆に、彼女達(マーティン&ヒューストン)がなぜ出てくるかを理解してからお話を伺うのかと思った。


chiki
 原稿をいただいてからも、山口さんが簡単な経緯をインタビューの前に書いてくださったので、そのままでいけるのではないかと思ったこと、それから本書は、最初から最後まで読めばだんだんと理解できていき、最後に結論にたどり着くという構成を意図的に避けたとこがあります。あとは編集再度の問題として、単純に、本のどまんなかにインタビュー、最初と最後にインタビューっていう構成にしたかったことですかね。


斉藤
 インタビュー配置のご苦労っていうのはわかります。このインタビューですが、どのような感想が来ていますか?


chiki
 えーと、 http://d.hatena.ne.jp/rossmann/20060706 などが典型的な、そして一番まとまっているものです。mixi内でもいくつかありましたが、それらは紹介できません。インタビューに関して言えば、例えばジェンダーセンシティブ/ジェンダーフリーなどの内容に踏み込んだ議論などは今のところまだ出てきていませんが、お二人のインタビューを日本に紹介したことがまずはなによりも GJ! というような反応です。


山口
 rossmannさんのレビューはうれしいなあ。


chiki
 本書は、人によって評価する論文は綺麗に分かれているんですが、現在ネット上で一番言及されていて、評価も高いのは山口さんの論文ですね。これは贔屓目でなく。


山口
 えー、本当に? 宮台大先生や上野大先生をさしおいて。。


chiki
 宮台さんの場合、もともと好きな人は評価して、もともと嫌いな人は叩いているという、今のところは読む前から結論が出ているような印象があります。上野さんのは、ネット上ではまだあまり評価出てないですねー。では、ゆるやかに議論に移っていきたいと思うのですが、まずは斉藤さんに、本書の全体の感想やら、宣伝形式や装丁の感想やら、簡単なご意見から伺っていいですか? イントロということで。


斉藤
 はい。まず、最初にこのような「ジェンダーフリー擁護」一辺倒ではない本がでたことはよかったとおもう。山口さんの論文など他ではとうてい出づらい論考だと思うからです。こういうメインストリームではない主張がこれだけスペースとって出たのは大変貴重なことだと思いました。


macska
 フェミ系出版社だと逆に難しいとか。


斉藤
 女性学系の本ではまず無理でしょう。


山口
 どうして無理だと思われます?


斉藤
 あれだけ「ジェンダーフリー」擁護している主流の女性学者を明示的に批判するものは見たことないです。なぜ出ないかについてははっきりしませんが、女性学系の活字文献では「ジェンダーフリー」擁護派一色ですから。


山口
 おとなしい人しか(とくに若手は)、女性学会とかではやってかれないね。


macska
 わたしは、フェミって内部でものすごく論争しているイメージがあるんですが、日本の状況は違うのかな。ま、こちらの基準でもわたしはやりすぎですが(笑)


斉藤
 フェミ内部で論争???


macska
 正確には女性学者のあいだでですね


斉藤
 女性学会では活発な議論があるとは全然言えないと思います。これまで私たちがブログやHPなどで「ジェンダーフリー」について批判した後に、女性学会のニューズレターや出版物では「バックラッシュの嵐が吹き荒れている。それなのにフェミニストの間に分断や亀裂が生じかねない」とか、「『ジェンダーフリー』を捨て去るというのは退却戦略だ」などと、誰の主張かをぼかしたままで反論がいくつも掲載されました。わたしたちは、正面から議論することを望んでおり、名前を出して批判したのにです。きっちりした内部議論ができないのが問題なのです。


macska
 批判しようと思うと暴露話みたいになってしまうというのは困りますよね。論争がしたいだけなのに、まともに論争できる基盤がないとそういう風に見えてしまう。


斉藤
 他に、バックラッシュに対する女性学者の本をごらんになっていますか?『ジェンダーフリートラブル』とか『Q&A男女共同参画ジェンダーフリー・バッシング』という女性学会が出した本などのことです。それらをみていただけると、ジェンダーフリー擁護派一辺倒で、内部にジェンダーフリーへの批判がまったくないことがご理解できるとおもいます。


chiki
 全部読みました。他には『ジェンダーフリー復権』『ジェンダーセクシュアリティの教育を創る』『みんなの憲法24条』『「男女共同参画」が問いかけるもの』などなど、関連書はたいてい読んでると思います。


斉藤
 どう思われましたか?


chiki
 『ジェンダーフリー性教育バッシング』を例外として、基本的にはバックラッシャーや一般の方に読んでもらおうというものではなくて、フェミ仲間で読んで論法や認識を共有しましょう、というようなものですよね。そこでは、議論を展開してよりブラッシュアップしていきましょう、という性格は弱いように感じました。


macska
 議論をしようとすると、そういう書籍から外にはみ出てしまうわけですね。


斉藤
 ネットでだけでしょう。独自の主張を書けるのは…。今回、活字になってよかったと思うのは、女性学者はだいたい活字しか読まれないからです。「フェミ仲間で読んで論法を共有」ですが、一つの答えしか認めないのでは困ります。


山口
 だけど、『Q&A男女共同参画ジェンダーフリー・バッシング』本の細谷実氏によるQ1の雛祭り項目とか、Q13の男/女の違いに関する項目とかみていると、あの論法共有されたら困ると思う。


macska
 そのうちの1冊を出しているところからわたしのブログ本を出そうという話があったんですが、多分中止になってしまったと思います(笑) わたしは内部批判も書いているけれど大丈夫か、と何度も確認したんですが、その頃はOKだと言われたんですけどね。


斉藤
 macska さんの批判はとてもかっちりと小気味いいですね。議論が丁寧です。習いたいなあ。論法。macska さんなら共有したいぞ。


macska
 でも駄目になったのは、多分わたしが林道義さんとの議論とかそういうのをカットしましょうと言い出したことと関係あるんじゃないかと。ああいう論争ではわたしがジェンフリ擁護しているみたいになっていたから、最初はそれが気に入られたんだと思います。だけど、ああいう論争はすごくつまらない。わたしが言う必要ないし、明らかに論理がおかしい相手に論理がおかしいと言うだけ。それより他に本にして欲しい文章がたくさんあるわけで。
 そしたら言われたんですよ。ジェンダーフリーという言葉の語源が誤用だったとか、上野さんがジェンダーフリーなんていらないとか言う中で、フェミニズムの中ですらどんどんジェンダーフリーが後退している時に、ああいうふうにジェンフリを擁護しているのを見てスカッとした、と(笑)


斉藤
 そういうことなのですか。ジェンフリ擁護派の出版社さんだったのですね。


macska
 うーん、わたしは必ずしもジェンフリ派じゃないですよとは言ったんですけどね。まぁ、もしかしたらわたしが日本女性学会とか伊田広行さんを批判しだしたことも理由かもしれない。


斉藤
 うんうん。出版社さんと関係が深い学者さんの発言力大きそうですね。


chiki
 うーん。ジェンダーフリーに対しても、どんどん正当な批判の声を内部であげていくことが、今後くるであろう批判への準備にもなると思うんですけどねー。フレーズやマニュアルを共有するよりも、そのほうが長期的にみて効果的だと思います。


斉藤
 チキさんいいこといいますねえ。同感です。


山口
 私もそう思います。じゃないと、鍛えられないもの。


斉藤
 あってもないことにされているっていうのが一番まずいよね。


macska
 いまでも、わたしはことさらにジェンフリ批判しているわけじゃないんですが。というより、一般にはチキさんと並んで擁護派だと思われているし。


chiki
 そう。私は、そもそも価値付けにコミットしようとしてないんだけども、擁護派って思われちゃってるし。


斉藤
 でも、当初サイトつくったときは女性学の人に感謝されたんじゃなかったっけ?


chiki
 まとめサイトは、最初フェミニストの方から批判されると思ってましたし、批判してほしいと思ってました。けど、そもそもフェミニストの方からの反応がほとんどゼロでした。少なくともオープンな場においては。もっと議論が活発になって欲しかったんですが。


斉藤
 女性学の大勢がジェンダーフリー擁護派になっってしまって議論ができなくなったのか?


山口
 「論争の時代」とやらはどこへやら、というのが、今の女性学状況のような気がする。


斉藤
 ジェンダーフリー論争とはいうけれど、あったのはバックラッシュ派からの批判だけか?それもあったといえるほどか?


macska
 というか、今は攻撃を受けているんだから、内部批判はあとにしてくれと。


山口
 うんうん、そうですね。一丸となって守らねば、みたいな感じ。


macska
 フェミが攻撃を受けないときなんて、ほとんど考えられないのに。


chiki
 そういえばそうだ。


斉藤
 そうそう。まさにその通り。


山口
 だけど、過去において攻撃をうけてきた歴史も、消されている。


斉藤
 そこが問題なんだよね。で、長谷川さんが「運動は大事だ」と言っているのがよかったよ。すかっとしたね。


山口
 長谷川さんは、現場で闘い続けているからね。


斉藤
 そこがよく出てました。


chiki
 細部の歴史が丁寧に描かれていて、迫力がありました。


斉藤
 同感です。とても具体例をうまく出しておられましたですね。伝わる文章だったし。


山口
 だけど、彼女がやってきた運動が、主流の女性学の世界では無視されているという…


macska
 なかったことにされている。


斉藤
 そうそう。江原由美子氏の「フェミニズムの70年代と80年代」論文(同氏編『フェミニズム論争』勁草書房、収録)ね。


chiki
 実は今回のチャットでは、サブテキストとして江原論文「『フェミニズムの70年代と80年代」が選ばれており、全員目を通して参加しています。この論文をサブテキストに選んだ理由などをお話いただき、ゆるやかに(2)(3)のトークに移れたらと思うのですが。


斉藤
 今日の山口さんのふぇみにすとの論考@はてな http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20060706 でも、「女性運動史をめぐる「江原史観」の問題点とその影響」として批判が書かれていましたね。


chiki
 長文の力作でしたねー。


macska
 勉強になりますー。

山口
 女性学において、70年代中期以降の運動史が無視されていることと、あと1970年代初頭の初期リブの描かれ方そのものにも、問題を感じているんです。斉藤さんとは日頃からよく議論しているところなんですが。


斉藤
 それと江原論文では、日本の女性学は日本の女性運動から生まれたのではなく海外のフェミニズム運動の影響により生まれたとしていて、日本の女性学正当化の根拠を海外の運動に置いていることも問題ですね。これは海外のものを正当化の根拠とするというアカデミアの傾向で、最近のジェンダーフリー概念の導入などとも同様の傾向と思います。


chiki
 山口さんがお書きになっていたのを読んで気づいたのですが、確かにジェンフリバッシングへのレスポンスは、非常に短いスパンの問題として語られてますよね。その意味でも歴史的視座が薄いという印象を受けました。


山口
 そうですね。歴史が途切れてしまっているんです。上野さんの『バックラッシュ!』本中のインタビューでも、対比されるのが、リブへのバッシングとジェンフリバッシング。その途中はどこへ行ったの?と


斉藤
 そうですね。日本の女性学は社会学者が中心ですから、運動=リブ運動ってことになりがちです。運動といえば、70年はじめの東京のリブだけ、もっと言えば田中美津さんだけいっとけばいいって感じのところがありますです。


chiki
 変な話だけど、今のうちに語っておかないと、みんな死んだら語り部がいなくなるぞ。


山口
 でも冗談じゃなくて、ほんとそうなんだよね。チキさんが言われていること。


斉藤
 女性学の書き物に歴史が欠如していることに、日本の女性学では社会学者が中心であるっていうことが深く関わっていると思います。社会学は近代社会を論じる学問で、近代社会の中での差異にはあまり言及しない学問だから(社会学の中でも、わざわざ歴史を扱う歴史社会学というジャンルは別にありますが、、)。


山口
 社会学そのものの問題ってことですね。


斉藤
 はい、社会学には歴史的視点がそう必要ないと考えられていますから。というか見えない前提になっていると思います。


山口
 私、日本の社会学系の文献読んだり、議論聞いたりしていて、いつも「近代」というのが主語になっているのがすごく気になるんです。「近代」がこうした、ああした、みたいな。近代agency(行為主体)状態というか。で、具体的な歴史的背景などが抜け落ちているような気がするんです。


斉藤
 「近代」をのっぺりしたものとしてとらえてもだいじょうぶみたいなところありますね。細かい歴史は気にしなくていいって。


chiki
 具体的にはどういう議論にそういう傾向を感じますか?


山口
 うーん、具体的にといわれるとすぐに出てこないんだけど、しょっちゅう出てきますよね。「近代」といっておけば、具体的な歴史状況や社会状況を話さずとも、説明になってしまうというような。


斉藤
 近代になって性別役割分業が出てきたというのはよく言われるよね。公私の区分ができて、、労働が家庭の外にでてとか、、


山口
 昔、上野千鶴子さんのゼミに出ていたときに、初めて気づいた違和感でした。その後、文献類みていても、しょっちゅう「近代」主語状態のものに出会う。


chiki
 社会評論などを読んでいると、フーコーの権力論とか、ポストモダニズム的な議論を絡めて論が展開される場合そういう話もよく聞きますが、それが社会学? まあ、バトラーとかをつかって「近代的ではない主体」みたいなものを延々と探そうとする読書会に出たことがあって、泣きそうだったこととかあるけど(汗)。一発解決の方法と、立ち位置の免罪符を探すような議論でして。


斉藤
 社会理論を論じる際はそうかもしれないですね。社会理論は社会学の1領域ですが、 社会学では理論やる人がえらい。実証的な研究はあまり賢くなくてもできる、みたいな見方があるように思います。


山口
 その分類が、社会学のフシギなところです。それはアメリカでもいえると思う。


斉藤
 で、一時代前の学者さんだと、東大では経験的な研究はやらなくてもよくって海外理論をきっちりマスターして教えることができればよかったと聞きました。今はどうなっているか、知らないけど。


山口
 あ、あとアメリカでは、数字族が権力握っているか。社会学では。


斉藤
 ああ、日本で理論がえらいのは、英語文献を読みこなせるってことが前提だからかな。アメリカはそれがないから数字にいくのかも。


macska
 『バックラッシュ!』って、社会学系の人多いですよね。双風舎の傾向でもあるんでしょうけど。


chiki
 えーと、宮台、上野、鈴木…


山口
 渋谷さんもそうじゃない?


macska
 インタビュアーの北田さんも一応。


山口
 女性学会には多いですよね。社会学


斉藤
 チキさんもそうなんではないですか?


chiki
 よく言われますが、私は社会学ではないですねー。文学畑だったので、メディア論はやってますけど。ところで今指摘された、社会学的なるものの問題点は、具体的に一連の論争と、歴史観の問題に、どのように関わっているのでしょうか。


斉藤
 山口さんの論文がいいのは、歴史的な視点が明確だっていう点もありますね。


chiki
 逆にいえば、山口さんの論文のおかげで、これまでの論争や歴史観になかったものがなんとなくイメージできたような気がします。そのことと、山口さんが「孤立」してしまっている状況なども含めて議論ができるのではないでしょうか。


斉藤
 そうですね、今の女性学やバックラッシュ派双方の議論(ネット上でのこれらに関する議論も同様)で欠けているものに、先ほどから出ている女性運動の歴史の欠如があります。ジェンダーフリーバッシングって、ほんとは女性運動や性の権利運動が達成してきたを崩そうという動きのことでしょう?


chiki
 そうですね。バッシングも、レスポンスも、短期的な、あるいは突発的な提案の是非の問題のみに集中しているような気がする。


斉藤
 それなのに、社会学者は動きの背景を探ろうとはするけど、運動が達成してきたことをきちんとみようとはしていない。これは社会学における歴史的な視点の欠如と関係していると思います


macska
 うーん、でも表面上バッシングは、行政と結びついたことへの反発みたいな建て前を取るような気も。


山口
 そうなんですよね。現在のバッシングだけが孤立して語られている。行政問題も、歴史的にちゃんと語る必要あるんですよね。


chiki
 これを機会に、これまでいかに叩かれて来たか史みたいなのが作られると面白そうですね。


斉藤
 そう思います。この本は読み物としては幅もあるし、豪華執筆陣でおもしろいですね。装丁もとってもいい。ただ今回、行政の施策や女性運動の展開に対する紙面が――行政と女性運動との関わりについては、山口さんが書いてくれていますが――少ないという気はしました。女性問題の現在を論ずるのに、実際の現場が見えてこない、、というもどかしさはあります。読者がつかないってことはあるんだあろうなとは思いますが、、、。


macska
 読者が付かないというより、編集をやっている人が思いつかなかったんではないかと。


chiki
 はい、私ですね。思いつきませんでした。ほんとすみません。


macska
 いや chiki さんだけじゃなくて(笑)、山口さんが長谷川さんを連れて、その山口さんをわたしが呼んだ。そのわたしをチキさんが呼んだという具合ですが、山口さんと長谷川さんがいなければ、全く歴史観が消失していたところでした。でもその消失を、わたしは自分では気付けなかった。そもそも、知らないから、欠落自体気付かない。


山口
 でもそれは macska さんだけじゃなくて、ほとんどの人がそうだと思う。日本でフェミニズムを専門として勉強している人たちも含めて。


macska
 chiki さんや谷川さんには、さらに気付きようがないでしょう。


山口
 ある意味、ネットでの言説と、じっさいの運動現場とが乖離していることの現れでもあるかな。


chiki
 ネットでの言説が乖離しないことはないと思います(笑)


斉藤
 ネット上の議論だけを想定しておられたんだとわかりました。しかし、macska さんが日本のことに関心を持って追っておられること自体、とても興味があります。


macska
 関心というか、のんびりブログやっていたかったのに深入りしてしまいました(笑)


chiki
 どういう企画があれば、今の議論の空白を埋められると思いますか?(ちょっと営業モード)


山口
 空白としては、ネット議論とプリントメディア議論の間の空白があるでしょ。


斉藤
 さきほどから山口さんと言っているように、バックラッシュ叩かれの歴史を掘りまくろうとか。


山口
 macksa・上野対談とかやれば、その空白うめられるかもしれないと思う。
 斉藤さんは、リブ運動の叩かれの歴史やってきたし、私はその後に続いた行動する会(「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」)。86年から「行動する女たちの会」96年解散のメディア報道はだいぶ見てきています。あと、中ピ連(「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」)について再考すると面白いと思う。あと、例えば、行政と結びついたことが絡んだ現在のバッシングと、昔のものを比較するという観点だと、初期リブよりも、むしろ、行政が女性政策への関わりを強めた、75年の国際婦人年当時の状況を比較したほうがいいように思います。


斉藤
 ああ、上野さんのインタビューでの論点ですね。上野さんは、江原さんと同じスタンスでリブだけが運動というスタンスで書かれていましたね。


山口
 女性学の主流歴史観は次のようなものだと思います。女性運動は70年代初期リブのみ。それは、田中美津というひとりの個人で代表されている。中ピ連は、いかにもリブの代表のようにマスコミには扱われたが、あれはリブとは違うものである。で、その後75年の国際婦人年をきっかけに、行政中心の動きになり、運動は消えた、みたいな感じ。そのかわり、77年の初の女性学の学会(「国際女性学会(現国際ジェンダー学会)東京大会」)をきっかけとして、女性学が誕生し、現在に至る、といったようなものです。


斉藤
 そうですね。80年代は上野や江原のような有名人フェミニストが台頭したというのが主流女性学のフェミニズム史観です。


山口
 そう、そして95年の北京会議以降に、はじめて性別特性論を疑うことになったと。


斉藤
 まるで今の主流女性学者を正統化する物語だというところだね、、。


山口
 だから、77年以降の草の根運動はないことにしていたほうが都合がよい。学者たちがほとんど関わってこなかったということも理由でしょう。

斉藤
 そういった正史が大きな声で語られ、それ以外の歴史はあまり語られません。江原論文は英語にもなっています。江原論文が最初に打ち出したそうした物語りが今や、フェミニズムの正史となっているようです。


山口
 アメリカ人にあの論文読ませると、見事にだまされます。日本のフェミニスト=ネイティブ、が書いているんだから、正しいはずだ、と。


斉藤
 田中和子さんもよく似た歴史を英語で書いておられたのを見たような気がします。


山口
 今、女性学とかジェンダー研究で教育受けている人たちは、あの歴史観で習っちゃうんですよね。


斉藤
 あとこの運動史、東京一極集中の運動史でもあるんだよね。


macska
 あった。Y Ehara, "Japanese Feminism in the 1970s and 1980s."


山口
 初期リブにしても、全国に散らばって同時期に起きていた運動ってのは、三木さんたちが編集した『資料日本ウーマンリブ史』(溝口明代・佐伯洋子・三木草子編『資料日本ウーマンリブ史I~III』松香堂)みると一目瞭然なんだけど、主流女性学版だと、なぜか東京一極集中、田中美津がひとりでひっぱっていたかのように語られる。


斉藤
 そうなんですよ。北海道と九州も、リブ活動さかんだったんですが、田中美津氏だけ有名です。東京のね。しかも今は運動していないで鍼灸師、スター的鍼灸師です、本もぞくぞく書いておられます。


山口
 北海道の「メトロパリチェン」というリブの団体は、すごくいい活動していたらしいですよね。
 chiki さんと macska さんは、栗原奈名子さんの『ルッキング・フォー・フミコ』(1993)の映画、見た事あります?


macska
 みてないですー。


chiki
 みてないなー。


山口
 英語題名だと Ripples of Change。栗原さんの映画でも、北海道のリブたちやほかのリブたちも出てくるんだけど、結局田中さんが中心に描かれているような感じになっていて。とにかく、多様な女性運動の歴史が、バックラッシュがらみの議論だと、すこんと抜け落ちているのが問題です。


斉藤
 ブログじゃ富山は女権運動がさかんなところだと思われていたりしていることに最近気づいたのですが、日本の女性運動について書いている人が富山に住む私だけで、ほかにだれも書いていないこと(これって、すごいことだ!)から来る誤解のようです。


山口
 そう、ネットで女性運動についての発信が少ないんですよ。ほとんどない、というのが現状。


斉藤
 あんなに名前だけ有名なリブ運動についても、だれか書いているかと思ったら、ほとんど皆無でした。検索したのですが、、。


山口
 macska さんに、リブについての情報なんてネットにない、っていわれて、初めて気づいた私。アメリカだと、昔のリブたちがネットで情報を発信なんてやってたりするけど、日本はないよね。


chiki
 色々論点が出てきましたね。一度整理を兼ねて質問です。この本が出たことで、これまでの議論に不足していた何が埋められ、これから何を埋めていくべきかだと考えますか?


山口
 ネット議論と、現場の運動、そして女性学の間の乖離をうめるひとつのきっかけ、って見方はできるかな、今回の本。ネットでの議論は、女性学会などよりよほど活発だけれど、知られていなかった。現場の運動については、ネットでも、女性学でも出てこなかった。


斉藤
 出てこなかったけど出す必要があるということが今回のチャットで確認されたのはよかったですね。


山口
 あと、キャンペーンブログのノリ、これって、今現在の女性学や運動にあった、閉塞感みたいのを吹き飛ばすような可能性を感じましたです。


斉藤
 ネット議論に詳しい方たちが編集されたのはよかったと思います。


macska
 こればかりは女性学会にはマネできない(笑)


chiki
 まねしたいと思う人がいるかどうかはともかく(笑)。さて、今までのお話だと、フェミニズム自体がまだまだ多様な歴史に対して配慮が足りず、まだ同時に対立する意見を交換する議論が薄まっていると。それはある意味で、近代/後期近代、というような通時的な観方を強調する歴史観の問題、あるいはこれまで主流とされたフェミニズム歴史観自体に異論をはさんでこなかったという問題でもあり、そのことが「ジェンダーフリー」の問題やバックラッシュへの対応のまずさにも現れている、と。そしてこれからは、これらの問題を徹底的に吟味することでフェミニズム自体への問い直しが重要になる、ということでしょうかね。


山口
 うんうん。


斉藤
 なんだかばっちりまとまりましたね。


山口
 女性学系の大物さんたちはネットまったくみてないと思う。


斉藤
 それは言えます。


macska
 マチュカブログを知らないフェミなんてモグリです(ウソ)


山口
 バックラッシュへの対応としては、やっぱり歴史から学べるものはたくさんあると思うのです。でも歴史が欠落してしまっている現状では、有効な対策が編み出しづらいのではないかと。


chiki
 ネットリテラシー、低いですよね。


山口
 低すぎですよ。だから、議論のレベルもどんどんずれていってしまう。


chiki
 ネットに対して特にロマンチックな理想は抱いていないけれど、ネットで個人が発信できるようになったことで、「主流」に対して無駄な配慮を必要としない語り口、あるいは地理的な問題(田舎、海外)などでこれまで「中央」の議論にコミットできなかったような方が議論に参加できたのは重要ですね。それは例えばここにいるお三方のように。


山口
 そうですね。いろんな人が議論に参加できるし。あと、今回この企画を通じて、ネット議論により多く触れる事で、セクシュアルマイノリティ関連の議論が、ネットのほうがおそらく「女性運動」の現場より、全然進んでいて、ある意味、ずれているとさえもいえる現状がわかったのはよかったです。自分に足りない視点も確認できたし。斉藤さんは、chiki さんの指摘された、ジェンフリの問題や、バックラッシュへの対応のまずさについてどう思います?


斉藤
 山口さんの論文では、それを考えましょうというのが最後のまとめでしたね。バックラッシュへの対応ですが、女性運動自体が行政と女性学者参入でかなり軸がぶれてしまっているところから見直さないといけないと思っています。例えばネットで起きているチキさんのような活動をすることとかも運動として必要だけど、女性運動では、ネット対応の必要性などあまり考えられていなかったりというのが、ありますよね。基本的になにをやってきて何を今やるべきかという点で反省が必要だと思っています。ネット対応ならびに、セクシュアルマイノリティの問題対応を含め、自分自身を含めて女性運動は、社会の変化にうまく対応できていないと思いました。


chiki
 宮台インタビューとも関係しますね。


斉藤
 え、どうして?関係しているようには思えなかった。


chiki
 宮台さんのインタビューでは、何が重要な差別であるかの序列付けに対する徹底的な配慮と言説の直進力がかつてと異なっている状況への徹底的な見直し、つまり現代状況の理解を踏まえたうえでパフォーマティブに振舞うことへの自覚を検討すべし、というような意見でもあったように思うので。


山口
 macska さんにも、日本の女性学やフェミニズムバックラッシュ対応のなにがまずかったと思うか、聞きたいな。なにが、っていうか、どのように、っていうか。過去形だけじゃなくて現在形でもあるけど。


macska
 えっとですね、バックラッシュ対応してたの?、みたいな感じがします。


山口
 対応してたつもりなのではないかなあ、たぶん。


macska
 こまかく見ればしていたんでしょうけど、でもわたしはネットしか見えない。ネット上では、ほとんど手がつけられていないみたいで。


山口
 女性学会の(ウェブ掲載の)Q&A http://www.joseigakkai-jp.org/newsgogai.htm くらいか。


斉藤
 ああ、公では議論しないからね。女性学も行政も・・


chiki
 すでにバックラッシュの流れがあることを前提に、せめて署名の数では負けないようにしようという動きとかは見えるけど、バックラッシュの流れ自体を「ネオリベ打倒」みたいな大きなストーリーとか以外で検討されているのはあまり見ないね。


山口
 後手後手にまわっている?


chiki
 うん。バックラッシュが生まれる構造みたいなものの吟味っていっても、すぐにどうこうできるような問題の指摘とかは聞かない。


山口
 具体性がない?


chiki
 具体性だけでなく、ビジョンもあまり。


山口
 今後どうしようというような?


chiki
 そうですね。あるいは、実際にこういう回路でバックラッシュはコミュニケーションしているのだから、そのフローを少しいじってみましょうとか、検証してみましょう見たいなのはあまり聞かないっす。多くのメディアが結託してけしからんとか、世界日報は札付きですとか、そういうのは聞くけど。


斉藤
 そういうのは、ネットじゃやらないからね。


chiki
 でも、ネット上のバックラッシュの対応はネットでやらないとね。2ちゃん男女板がパブコメでどれだけ機能するかとか(笑)


斉藤
 実際の対応は、根回しとか、議会対策とかですよ。


山口
 宇部条例はそれに失敗したケースか。


斉藤
 わたしの知っている実際の対応はそういうものだと思っているが、ネット対応はまずかったよね、だってネットみている人少ないから。


macska
 日本女性学会のページに載せられた Q&A のおかげで、わたしたちがどれだけ苦労したと思ってるんだ(笑)


山口
 ほんとだ!あれはひどい。


斉藤
 そうでしたね。でも女性学会サイドはあの Q&A、自信満々でしたよ。


山口
 女性運動の高齢化と、ネットに対応していない現実はすごく大きな問題。これ何とかしていかないと。


chiki
 ネットの問題は、どうしましょうね。こ、講習会?(笑)


山口
 そういう案もよくでたけれど、うまくいかないんですよね。


斉藤
 わたしもいろんなところで女性向けのインターネットの使い方講座やったけど、でもみんなメール以上のことには取り組んでいないのが現状。


山口
 でも、実際の現場で動いている人たちが、全然ネット議論知らないんだもの。女性運動だけじゃなくて、女性学もね。だから、ズレた Q&A を出してしまう。


chiki
 フェミのネットの歩き方、みたいな本が必要か(笑)


斉藤
 フェミのためのネット活用術か。


chiki
 リアリティが全然ちがいますからねー、webを観ているのとそうでないのと。


斉藤
 そうでしたね。みる必要感じない、十分活字で間に合っているという。


山口
 で、ネットばかにしているのの裏返しに、オタクをバカにしているところがありそうだ。


斉藤
 それはありそう。


chiki
 そこは反論したいところを、時期を待ってます(笑)。あれではフェミニストがオタク=性犯罪者予備軍と思っていると読まれかねない。むしろ、オタクはフェミの議論のセカンドターゲットくらいにはせめて設定してもいいと思うのだが。


山口
 同感。あと、バックラッシュ対抗する系の言説の中で、男の負け組がバックラッシャーと決めつけるような言説があるのも気になります


macska
 後藤さんが批判するところの俗流若者論にもなりかねない。


斉藤
 「バックラッシュ対抗する系の言説の中で、男の負け組がバックラッシャーと決めつけるような言説」って、宮台氏が最初に打ち出された説では? それを他の方が孫引きされただけなのかと思っていました。そして根本の宮台氏の説は、ご自身の院生の方の博論とかを引用したものらしいですが、そもそもその引用自体適正ではないとネット上で批判されてましたよね。


山口
 『論座』の佐藤文香さんの文章とか、あと細谷実さんも負け組=バックラッシャー説じゃない?


斉藤
 でも、宮台さんもあの根拠となりづらい博論を引いているだけなんでしょう?拝外的愛国主義ににコミットするのは、日本に限らず、低所得、ないし低学歴層に偏りますと書いていますね。こんな数量的な国際比較でそういうことがわかるのかしら??


山口
 だけど、バックラッシュ系の宗教団体なんかは、中小企業主とかの支持層いそうな気がするんだけどなあ。


斉藤
 この宮台説が大いに引用、孫引きで根拠なしに流布しているのは問題ではないかと思います。「昔から権威主義者には弱者が多い」とかも書かれているけど、これもどうなのかな?


chiki
 社会学の実証系になるとちょっと分かりませんが、衣食足りて礼節を知らないと寛容な態度を選択することが出来ないという問題は一方でありそうですね。思想的な意味において。


斉藤
 統計って、取り方とかそれをどう応用するかによって、当てに出来るようで意外とあてにならないものだから、、。


chiki
 もちろん、実存と言説は乖離するものなので、ベタにバックラッシャー=負け組という言説を固定化するのは大変まずい。一方で、負け感をフェミニストにぶつける、というリアリティを持つ人への包摂を吟味することは重要でもあるでしょうし。


山口
 本の原稿にもかいたけど、バックラッシュの地域の末端にいる人たちは、実は女性たちもたくさんいるってのはおさえておくべき。ぜんぶ男の負け組扱いだとダメだと思う。キリストの幕屋とかだって、実働部隊はたぶん女性が多いでしょ。


斉藤
 それは同感です。


macska
 あそこの女性信者は外見(髪型)から判別しやすく目立ちやすいという点を除いても、そうでしょうね。


斉藤
 2ちゃんとかみていても、ここにどれくらい女がいるのかなっていつも思う。


山口
 そうですね。2ちゃんだけみていると、全部男のような気がしてくるのは確かだ。


chiki
 2ちゃんは板にもよりますが、女でも「オレ」と書くというような暗黙のルールがあったりするし。


斉藤
 女が見えづらい面ありますね。


山口
 だけど、2ちゃん状況なんてみている女性運動の人たちは、ほとんどいないと思う。


斉藤
 読み方教えてもらいたいかも。最初なれるまでよみづらかったからねえ、、。


chiki
 宮台の件に限らず、バックラッシャーというのが実際にどういう人なのかをフィールドワークや実証分析することはすごく大事だとは思う。今は、互いに顔が見えていない状態ではないかと。


斉藤
 うんうん、それがないから宮台説が蔓延しているのかも。


山口
 チキさんは、バックラッシャーとじっさい顔あわせたことありますか?


chiki
 保守系のイベントに参加したことなどはありますね。


斉藤
 地方だといつも顔あわせていますよ。そんな特別のひとじゃないですよ。


chiki
 特別ではないですよね。


山口
 そうですね。「市民」として活動しているわけだし。


斉藤
 なんか特殊視してませんか?それこそ、バックラッシャー運動家だけを想定しているような感じを受けます。


山口
 女性学系の人たちだって、バックラッシャーたちと会っていると思うんだけど、負け組説に流れるのはどうしてだろうか。


macska
 「低学歴・低収入なんだ」と見下すことで溜飲を下げているとか。


斉藤
 青年会議所とか普通に地域に根を張っている伝統的な男の団体や経済界などにも保守の人たちいくらでもいますよ。


山口
 実はいい人たちだったりもするよね。


斉藤
 そうそう、わたしなんか日常的に知り合いいっぱいだ。


chiki
 東京の大学とかだと、そういう人がいない空間で議論してたりするってのもあるのかもね。


山口
 たしかに、大学空間だとそうなりがちですね。バックラッシャー=恐ろしい像を提示しておいたほうが、フェミニズム=一方的な被害者像をつくるには便利だというのもあるかもしれない。


斉藤
 現在はそんな感じが強いですね。女性学などのバックラッシュ派のイメージには、いつも違和感感じてます。


山口
 自分たちは悪くない、悪いのはすべて攻撃する側って。


chiki
 でも、バックラッシャーとある種のフェミニストって、すごく似たコミュニケーションやってますよね。自らのリアリティに対して批判的な言説をまめに取り上げて、皆で仲良くわいわい憂いている。


山口
 だから、ジェンダーフリーに関しても自己批判できないし、相互批判もできない


斉藤
 今思ったのですが、ネットでのバックラッシャーと政治の世界でのバックラッシュ派とはまた別の人たちなのかもしれませんね。 「バックラッシュ」ということばで、ここで、chiki さんと別の現象を話しているような気がしました。


山口
 バックラッシュという言葉で違う現象話している気がするってのは、鋭いかも。ネットを主に活動現場とする人と、そうではない人では、違うかもしれないですね。


斉藤
 わたしは性差別を事上げしたり、女性政策を地域の中で根付かせるような活動をしてきたから、生活の中で、政治のなかで反発や攻撃をつねに受けてきた気がする。 だから、今初めてバックラッシュ現象に出会ったかのような女性学の言説にはずっと違和感がありました。


山口
 ネットだけみてたら、今の現象はたしかに特殊というか、浮いていると捉えられるよね。それ以前にはこういうネット言説なかったから。


斉藤
 そうですね。最近ネット界に進出した方たちとは、「バックラッシュ」とは何かの理解もまちまちかもしれません。


山口
 マスコミから叩かれたという面からいえば、80年代後半の行動する会なんかは相当真剣に叩かれていたと思います。80年代後半からの反ミスコン運動とか、相当叩かれましたよね。小林よしのりだってマンガで批判的に取り上げていたし。


chiki
 ネット上で議論をするとき、モニターごしの相手を説得するのか、それともその人が書いた文章を無効化していくのかとかはいつも考えますねー。


斉藤
 「モニター越しのネット議論=バックラッシュ」でしょうか?


chiki
 バックラッシュを「嗤う」場合は、その言葉に感染していかないようにするリテラシーを提示しつつ、コミュニケーションが拡散していかないようにするために書いているので、現象やフローを意識してます。そのときはバックラッシュというのは、男女平等などの言説に反対することをネタにしているコミュニケーションのカスケードの総体のようなイメージですね。


斉藤
 現象を意識しているけど、主戦場はネット議論ということでいいですか?


chiki
 私はそうですね。


斉藤
 言説をめぐる言説上の戦いがバックラッシュとの戦いなんですね。


chiki
 基本は「象徴闘争」ですよね。倫理を含めたリテラシーの問題のみをほとんど対象としているので。


山口
 斉藤さんは両方やってるよね。ネットも使って、現場もみて。その立場からみて、現在の問題って何?


斉藤
 わたしはそうですねえ、イメージ的には、「バックラッシュ」と言えば、リアルな政治上の闘いのことを主に思っていました。そちらのほうが主な闘いの場であったからですが、、。


chiki
 政策とか?


斉藤
 そうそう。実際に条例策定に関わり、それに反対する議員たちがいろいろと工作してくるからそれをどうおさめるか、ということなどやってきました。というのは、女性問題は今男女共同参画推進基本法ができてそのあと、各自治体でそれぞれの男女共同参画条例や男女平等推進条例などをつくって基本法に上乗せをしている段階だからです。だから、ネットでのバックラッシュの議論への対応も重要だけど、実際の政策状況を左右する条例で基本法より進んだ政策実現をすることが切実で重要なことと考えていたからです(もちろん、ネットと実際の政治状況は関連していますが)。

macska
 なるほど。

山口
 条例作りとかに関わっている層は、ネットほとんどやってないような。


斉藤
 ジェンダーフリーなど言葉の問題に関心が移ってしまって、実際にどう使っていくかをだれも関心もっていない。今は、これまでせっかく作りあげてきた政策をしっかり根付かせるかどうかなのに、ジェンダーフリーの意味を巡る象徴闘争(?)などネット上での議論に集中して、忘れ去られているという気がしています。もちろん条例がそう効力あるとは思っていないところもあることはあるんですが、それでもこれだけ、多くの人がそれに関わってきたのにバックラッシュだといってみな逃げていったみたいな印象があります。


山口
 条例運動から逃げていった?


斉藤
 条例運動からではなくて、日常的なレベルでの政策関与から逃げてしまった。行政もそれをいいことに政策推進から手を引いている、そういう実情があります。条例ができているのならそれをどう実効性の高いものにするか、という段階だと思いますが、そういうことは今行政も市民運動も関心薄くなってしまっています。 政策自体への興味は失われている。特に合併もあったし、それがまたマイナスに働いている。だから、例えば女性センターがある市町村なら、そこで自分達の活動をする、フェスティバルをするなどといった非政治的な活動が主な関心になっている。そういう事態の方がわたしにとっては、ネット上の「バックラッシュ」議論より深刻な心配事です。まあ、ネット議論は無関係ではないのですが、、。


山口
 ああ、合併は地方で影響大きいですよね。東京などの都市部にいるとよくわからないけれど。


斉藤
 合併の影響は大きいです。合併に際しては、自治体の全部の条例についてどうするか協議します。男女平等条例もそのなかに入ります。3つの町が合併すると、それぞれに条例があります。ないところもあるけど、合併協議会というのをこしらえて、議員さんと各種団体の長などが選ばれて協議します。協議会メンバーには、わたしの地元では婦人会会長さんが女の代表でした。2つの町からそれぞれ出てくるんですが、女の代表になってね。全市民の女性代表ということです。まあ婦人会さんだからダメということではないんですが。


山口
 でも、利権の温床みたいになりかねないですよね。婦人会。


斉藤
 婦人会さんは、悪しきイメージが先行しているかもしれません。実際は、わたしの地元では、しっかりしておられますよ。条例策定でもごいっしょに委員をして進めてきました。利権というより、今は行政からやっかいな仕事を押しつけられがちなのではないかな。婦人会さん、育児支援事業に乗り出しておられますが(行政から頼まれて?)、厚生労働省がその直後に、緊急子育て支援サービスというのを別につくって、いままでの婦人会さんのものがようやく軌道にのりかかったのに水を差すようなことになって困っておられるようです。


山口
 合併は何度も繰り返されますよね。その度に議論するのか。


斉藤
 合併はそうです。


山口
 行政にふりまわされているのですね、婦人会。


斉藤
 そう思います。合併は別のことですが、何度も繰り返されればそのたびに相互の町で全部の法律をどうするか話し合うことになります。


斉藤
 その合併協議会ですが、双方の自治体の市長、助役、市議会の代表を除いた市民代表からなる3号委員は各自治体ごとに、たった6名です。市長、議員を入れた総勢でも各地自体、12名ずつの構成です。それで合併の全容を決めている。


山口
 たった十数名!


斉藤
 婦人会、今は財政状況が厳しくなった行政に「ボランティア」的にうまく利用されている気がします。


山口
 市町村の大きさが違う場合は、大きい市の条例が通るのですか?


斉藤
 市町村の大きさが違う場合は、大きい市のが通る?というのはそうでもない。というのは、吸収合併されることを怖れるから、大きい市ははれものにさわるように気を遣っている。それがあるからわたしの地元でも、合併によって男女平等条例の行方がどうなるかを大層心配しました。男女平等推進条例で苦情処理機関もある自治体と、ヒューマンプランという行動計画だけしかないところがいっしょになるのだと、それが合併でどう転ぶかは心配の種でした。


山口
 今は、条例をどう使うか、今後どうしていくのかの議論も、合併に隠れてしまって、ないままという状況でしょうか。 というか、条例自体が無力になってる?


斉藤
 そうです。条例は合併に隠れて議論しづらくなっている。それほど合併が大きなことなので。条例自体が相対的にあまり意味を持ったものと考えられなくなった空気をひしひしと感じています。


山口
 宇部条例なんかも、合併でどうなるのか興味もっているんですが。


斉藤
 条例策定の時から様変わりがひどいです


山口
 そうですか。条例策定のときに、あれだけリーダーシップをとった女性学者はどこへ?


斉藤
 富山県内では外部の女性学者さんはそう目立っていなかったので、よくわかりません。ほんとはこういう問題、議論したいのですが、しかし議論したがっている人を知らない。というか、どこだと議論が成立するのかわからないです。


山口
 ネットだと議論しづらいですよね。ネットじゃなくてもそうかな。


斉藤
 そうですね。だれとするかですね。2004年12月に上野さんところのジェンダーコロキアムに山口さんと「ジェンダーフリーから見える女性学・行政と女性運動の関係」http://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.html という企画を提案した際に、こういう話を少ししましたが、それ以降どこでもやれていません。


山口
 斉藤さんのブログでも、こういう具体的な条例とか、行政がらみの話になるとあまりコメントつかないもんね。


斉藤
 そうですね。実際の女性運動ネタや女性政策ネタになるといつもシーンとなりますね。


chiki
 長文には基本的にコメントつきにくいですよー。はてブで[あとでよむ]とか(笑


山口
 イダ氏問題は長文でも読んでくれるのはどうしてだ?


chiki
 【揉め事】だからではないかと。


斉藤
 ああそうか。 【揉め事】ね〜。


macska
 わたしのサーバは、小谷野さんと論争するたびに転送量オーバーしちゃってます。


chiki
 とりあえず長くなったので、そろそろシメませんか?


山口
 そうしましょうかね。


斉藤
 そうですね。


chiki
 とりあえず、最後にこれまで語られなかった歴史の再考が必要という意見と、社会学的な視点でないアプローチが必要という意見、その両方について十分すぎるヒントを斉藤さんからいただけたと思います。最後に読者に一言ありますか?


山口
 私は、どんどん議論できる環境を作っていきたいなーということかな。キャンペーンブログの笑いとばしノリも、ある意味、初期リブとか、長谷川さんたちが中心だった頃の勢いある行動する会にあったような、ブラックユーモアみたいなノリと共通する可能性も感じます。


macska
 実は正統派だったキャンペーンブログ。


斉藤
 いろいろ議論のきっかけをつくってくれたバックラッシュ本、ぜひ続編へとネクストステージを期待しています


山口
 続編いこう! 第一巻ももっともっと売ろう!ネットやってない、女性運動の人にも届かせよう!


chiki
 続編、大事ですよね。出番ですよ、谷川社長!


山口
 そうだそうだ!

 いかがでしたか。長文でしたが相応に読み応えがあり、得るものも多かったのではないかと思います。chiki & macska による『バックラッシュ!』キャンペーンブログはそろそろ視聴率低迷により打ち切りですが、再来週からは山口&斉藤による『フェミニズム!』キャンペーンブログが始まるのでお楽しみに!(ウソ)