『ジェンダーフリー』&『バックラッシュ』

 こんにちは、みなさま。毎日『デビューボの泉』が読みたいという声が届いておりますが、ごめんなさい、今日はキーワードです。本書『バックラッシュ!』に掲載されているキーワード集から、今週はなんと2つ公開します。「ジェンダーフリー」と「バックラッシュ」です。

ジェンダーフリー


 「ジェンダー・フリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるといわれている。報告書においては、制度面ではなく内面のジェンダー・バイアス(偏見)を低減させるための言葉として位置づけられていたが、 制度面のジェンダー・バイアス(障壁)が少ない状態や、性役割性的指向に関して自由な状態を指す言葉としても使われるようになった。
 バックラッシュ派からは、しばしば「性差否定」という用語説明がつけられるが、それに対しては「ジェンダーレス」との意図的な混同であるという応答が繰り返しなされている。というのも、「ジェンダーフリーな社会」というスローガンを唱える者の多くは、男女を同一のものとして扱うというのではなく、男性、女性と一口にいっても多様なライフスタイルがあるのだから、それらを肯定していくという意味合いで使っているからだ。
 なお、バックラッシュの中ではフェミニストであれば誰でもジェンダーフリー論者であるかのような決めつけがなされることがあるが、それは事実に反する。ジェンダーフリー論に対しては、フェミニズム内部からも「行政主導である」「制度改革でなく内面を重視しすぎだ」「新しい用語を使わなくても『男女平等』で十分だ」などさまざまな批判があり、ジェンダーフリー概念を擁護するフェミニストや教育者たちとのあいだで激しい論争になっている。


バックラッシュ


 Backlash。「逆流」や「反動」を意味する言葉。一般には、あるムーブメントや特定の傾向に対する対抗的な流れの台頭を指す言葉。まれにBLと略されるので、たとえば「BLの代表的存在である安倍晋三」というような文字列をはじめてみたときは、人によってはボーイズラブのことかと思ってドキドキするかもしれない(それはないか)。
 スーザン・ファルーディが『バックラッシューー逆襲される女たち』(新潮社、1995)において、メディアがいかに「働く女」や「フェミニスト」を批判してきたかを多くの資料に基づいて取り上げたことから、フェミニズムの課題の一つとなった。全てのソースをフラットに羅列するというファルーディの実証スタイルは手法に問題が残るものの、バックラッシュによって作り出されたメディアイメージが女性自身の内面に入り込んでフェミニズムの成果を逆流させる可能性を示唆した点は意義があるだろう。その点、バックラッシュをインターネットやポピュリズムとの関連で考えることは重要だ。
 無論、ファルーディのようにメディアと現状との乖離をあるポジションから批判するだけでは政治的に有効ではないことをも、今回の「バックラッシュ」は示唆している。日本では「男女同室着替え」「同室宿泊」など保守系メディアを通して批判されたような「行き過ぎたジェンダーフリー」の実例のほとんどが誇張や言いがかりに過ぎなかったにも関わらず、「フェミニストジェンダーフリー論者」「ジェンダーフリー=性差否定」というラベリングが行われた状態では、単に「あれは自分ではない」と言っても有効ではない。
 また、バックラッシュは、よりもどし現象の総体を指す言葉ではあるが、そのよりもどしの対象になっているレスポンスとして現れるとは限らない。また、その対抗モードの担い手が必ずしも「バックラッシュ派」であるとは限らない。
 なお、基本計画のスパンから考えると、2010年頃までには新たな形でのバックラッシュが顕在化する可能性は否めないだろう。

 さて、明日はひとり出版社・双風舎の谷川社長、3度目の登場です。発売まで3週間を切ったいま、売り込みに奔走中の谷川さんに、最新情勢を伝えてもらいます。がんばれ谷川、売りまくってベストセラーにして、『バックラッシュ!』大全50巻シリーズを出し尽くせ!(ウソ)