瀬口典子「『科学的』保守派言説を斬る! 生物人類学の視点から見た性差論争」紹介

 こんにちは、みなさま。『バックラッシュ!』キャンペーンのお時間です。今日はモンタナ大学の助教授で生物人類学を専門とされている瀬口典子氏の論文「『科学的』保守派言説を斬る! 生物人類学の視点から見た性差論争」を紹介します。わたしたちが瀬口さんに原稿をお願いしたのは、バックラッシュ言説に多い似非科学的な主張に対して、これまで生物学系の研究者からの反論がほとんど見当たらなかったから。この論文では進化史モデルや脳の性差の問題について丁寧に反論&説明をしていただいております。それではその出だしの部分をご覧ください。

 フェミニストの主張に科学的な根拠がないとして、保守派が使うのが脳の科学だ。保守派は新井康充や澤口俊之などの脳科学を引用し、脳の重さの性差や脳の構造の性差、脳の性分化、脳の認知機能の性差などを例にあげ、「男らしさ・女らしさ」は生まれつきのものだと反論している。保守派は、生物学的な性であるセックスと、社会的、文化的に構築された性であるジェンダーを意図的に混同させている。また保守派は、ジェンダーフリーという言葉の混乱に乗じて(本書の山口原稿を参照)、フェミニストたちが「女らしさ・男らしさ」をなくそうとしており、危険だと攻撃している。私は女性の生物人類学研究者だ。脳の性差が生じた理由について、保守派がまちがった進化史モデルを使っているのを、たいへん不愉快に感じている。
 本稿では、保守派による脳の性差論のおかしさや彼らが引用している進化史のまちがいについて指摘してみよう。そして、彼らの引用する脳科学の「科学的根拠」というものが、彼らに都合のよい観察事実だけを提示することで成り立っており、いかに偏っているかを見てみたい。また、保守派は性分化に関して、Y染色体ばかりを重視している。天皇継承問題でも、「万世一系、男系長子相続」を主張すると「男尊女卑」と攻撃を受けるだろうから、それをカモフラージュするために、「Y染色体」と言い換えているのだろう(詳細は後述する)。保守派が「男尊女卑」のシンボリズムとして使うY染色体論に対して、最近あきらかにされたX染色体の重要性なども論じていきたい。
 そして、彼らの使う「科学」なるものが、いかに「科学的思考」から逸脱しているか、また「非科学的」でいい加減かを考察しよう。


■科学は客観的か
 保守派は、ジェンダーのあり方までもが、生まれつきで、生物学的なものであり、その背景には科学的な根拠があると主張している。一方、遺伝学研究者たちにとっては、人間の形態や行動、能力が遺伝と環境の相互作用によって決まるというのは常識である。さらに保守派は、「科学」という言葉に絶対的な権威を与えている。科学的根拠という言葉を使えば、一般を説得することができるとして、利用しているのであろう。
 では、科学とは何か。科学とは、実験や観察にもとづく経験的実証性と、論理的推論にもとづき一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動であり、その結果としての体系的整合性をその特徴とする。科学的手法で導き出された説はもっとも論理的で、観察されたデータの客観的な解説がなされると、一般に思い込まれているようだ。しかし、じつはそうではない。科学的手法を使っても、かならずしも客観的で正しい結論を導くことができるとはいえないのだ。科学者も人間なのだから、科学にも多かれすくなかれ、直感や思い込み、その科学者の生まれ育った文化的背景など、主観が入っている可能性は高い。「科学もある時代のものの見方、考え方から自由ではありえない」のだ。ある現象を説明するために立てた仮説にも、最初の段階で主観が入っているかもしれないし、研究者が所有している測定器具、または実験装置にも違いがあるし、論理の組み立てにも飛躍があるかもしれない。つまり、科学は絶対に客観的だとは言い切れないのである。


■「脳の性差」論者の自己矛盾
 先に述べたように、遺伝学研究者などの科学者たちにとっては、人間の形態(身長、体重も含む)や行動、能力の個人差が、遺伝要因に環境要因がくわわって決まるというのは常識だ。しかし、保守派は、脳の性差は生まれつきの性質であるとして、「女らしさ」と「男らしさ」は遺伝的に決定されていると主張し、それを無理やり無くすことは人間を破壊することだと危機感を煽っている。ひいては、女は子どもを産み、育てるだけの性とし、その主張には人類の数百万年の進化史という科学的な裏づけがあるとしている。
 保守派がよく引用し、みずからも保守派系出版物に執筆する学者であるのが、澤口俊之だ。だが、みずから脳サイエンティストと名乗る澤口の講演内容には自己矛盾が見られる。澤口は、「男と女の脳は生まれながらにして違う」と言いながらも、脳の原型は女で、男は男になる教育をしなければ中性化(中性化とはどんな性なのだろうか?)してしまうと述べている。男脳と女脳が「生まれながらにして」違うといっているのに、なぜか教育によって変わってしまう、つまり、環境によって大きな影響を受けるといっているのだ。これは論理的におかしくないか。生後に影響を受けて変わるということは、社会的・文化的に構築される性のあり方、つまりジェンダーが存在するといっていることになるのだ。この論理だと、性差は、教育や社会、そして文化の影響で変化すると認めているようなものだ。
 また、この講演で、澤口は「人間は他の霊長類と比べて幼少期が極端に長くなっていますから(これを生物学ではネオテニー幼形成熟という。とりわけ日本人を含むモンゴロイドは他の人種に比べてネオテニー化が進んでいる)、この間の母子密着は人類進化の過程からみても必然なのです。〈中略〉そもそも男女の脳はサイエンティクに違うし、母性愛もセロトニンという神経伝達物質によってもたらせるのであって、母性本能には科学的根拠があるのです。そういう人類の数百万年の進化史を無視して、母性愛は男性社会を維持するために押しつけられた幻想だとか言う人たちは、いったいどんな子どもたち、社会を目指そうというのでしょうか」などと述べる。
 「サイエンティク」などという言葉は英語にはなく、おそらくscientificのまちがいなのだろう。そして、ここで澤口は「モンゴロイド」という言葉を使っているが、モンゴロイドという生物学的なカテゴリーは存在しない。人種という概念には、生物学的な有効性がないからだ。また、日本人を含む「モンゴロイド」(アジア人のことか?)が他の人種(ヨーロッパ人、アフリカ人、オーストラリア人などのことか)にくらべてネオテニー化(顔が子どもっぽいまま、おとなになるといっているのであろうか。それとも、成長、成熟する速度が遅いといっているのだろうか?)が進んでいるという論文は読んだことがない。
 ここで言及されている、セロトニンというのは、最初血清中に存在する血管収縮物質として発見された。血管収縮、体温調節、痛覚などに関与している神経伝達物質のひとつであると考えられている。セロトニンと関連する病態には、うつ病や、偏頭痛、慢性疼痛障害、睡眠障害、そして摂食障害などがある。当然、セロトニンは男にも分泌する。なぜ、これが母性本能と関係があるといえるのだろうか?
 澤口の論理には整合性がなく、その場しのぎである。「女がずっと子どものそばで情操教育をする重要さを説きたい」という政治的な目的が先にたっているから、このような整合性のない話になってしまうのではないか。
 澤口のみならず、このような自己矛盾は、保守派の論理に見られる第一の特徴だ。そして、否定しようとする理論を理解できないか、むしろ知っていながらあえて曲解していることもある。また、都合の悪い内容の観測事実は、無視することもよくある。たとえば、脳科学者の第一人者として保守派が担ぎ上げている新井康允でさえ、「ジェンダー・ロールやジェンダーアイデンティティの形成する過程で、脳が社会から学習することが大きな役割を占めていることは事実だ」と述べているのだ。だが、これは無視されるのである。

 つづきは双風舎バックラッシュ!』でお楽しみください。


 さて、明日は連載『デビューボの泉』に、さぞかし優秀なY染色体をお持ちであろうあの人が登場です。『バックラッシュ!』を買って、「Y染色体or脳マクラ」を当てよう!(ウソ)


※当初、手違いにより訂正前の初稿の文書を掲載してしまいました。瀬口さん及び読者のみなさまに謝罪します。