山本貴光+吉川浩満「脳と科学と男と女ーー心脳問題<男女脳>編」紹介

 こんにちは、みなさま。今日は本書『バックラッシュ!』から、サイト「哲学の劇場」を主宰している山本貴光吉川浩満両氏による「脳と科学と男と女ーー心脳問題<男女脳>編」を紹介します。先日ご紹介したとおり、本書では瀬口典子さんが脳や進化論モデルに関する知識を与えてくれていますが、もしそういう「知識」がない段階では私たちはどうすればいいのでしょう。専門外の知識に対しては知識がないとただ指をくわえてみていないといけないのでしょうか。
 というわけで本書では、著書『心脳問題』の中で、脳の話題などと「知性」をつかってつきあうためのリテラシーを丁寧に解説してくださっているお二人にお願いし、「男女脳編」をお書きいただきました。その冒頭部分をご紹介します。

■はじめに――「脳の世紀」

 二一世紀はしばしば「脳の世紀」と呼ばれる。急速に発展しつつある脳科学が、人間の脳の仕組みと働きを着々とあきらかにしつつあるからだ。
 もちろん男女の性差にかんする脳研究もさかんにおこわれている。でも、非専門家である私たちの多くは、そうした研究に直接的に触れることはめったにない。学会誌や専門誌は手に入りにくいし、仮に手に入ったとしても、その内容はあまりに専門的で手に負えない。というわけで、私たちが入手する情報のほとんどは、研究成果を素人向けに解説した啓蒙書や、それらを応用して恋愛論や人生論に仕立てた読み物ということになる。たとえば、「男脳」「女脳」といった言葉を耳にしたことのある人も多いだろう。
 本稿では、脳科学にもとづくとされる性差についての言説を読み解くさいに念頭に置いておきたいポイントを簡単に述べてみたい。そうした情報に出合ったときに、どう受けとったらいいかということの目安になるはずだ。どれも単純で当たり前のことだけれど、ともすれば見おとされがちな論点ばかりなので、ここでまとめて確認してみよう。

■性差の脳研究――ハード・サイエンスの世界
 「男脳」「女脳」という言葉はとてもわかりやすい。わかりやすすぎてどこにも誤解の余地なんてないし、とりたてて問題もないように思える。生物学的な男性の脳が男脳で、同じく女性の脳が女脳。何か問題があるだろうか。
 脳の性差について書かれたいろいろな本を読んでいくと、じつはそう簡単な話ではないことが見えてくる。男性のなかにも女性に近い脳の人もいれば、その逆に、女性のなかにも男性に近い脳の人もいる。これに同性愛と異性愛の違いや性同一障害、それに性転換をした人のケースなどを考えていくと、事柄はさらに複雑だ。ようするに、統計的に見れば生物学的な性差に応じて脳にも男女の性差が確認できるけれども、現実的には人それぞれ。いってしまえば誰しもすこしは男脳であると同時に女脳という次第。脳の性差を紹介する書物にも、たいていはこれは統計的な平均の話で、男だから男脳、女だから女脳と決まっているわけではないという但し書きがついている。
 では実際のところ、脳にはどのような性差があるのだろうか。それはどのように確認されているのだろうか。詳しいことは本書に収録された論考を読んでもらうとして、まずはここでの議論に必要な最小限のことを確認しておこう。
 脳科学では、脳の性差を調べるいくつかの観点がある。ひとつは脳の性分化の研究。性分化というのは、受精卵から細胞分裂を経て胎児へと成長する過程で、男女のいずれかになっていく過程のこと。脳についても、どのように性分化が生じるかという生化学的なメカニズムの解明が目指されている。もうひとつは、生まれた後の脳の構造や機能から性差を調べる研究。こちらはMRI(磁気共鳴画像法)やPET(陽電子放射断層撮影)といった脳を間接的に画像化する技術を活用して、脳のかたちや機能の男女差を調べるという方法だ。さらにはラットなどの動物を使って、脳の性差をさまざまな実験から観察するという方法がある。
 こうした研究から、男性と女性の脳には構造的にいくつかの違いがあることがあきらかにされている。たとえば、成人の脳の重さをくらべると、平均的に男性のほうが女性より重いという比較結果がある(もちろん、このことから脳が重いほうが性能がよいと考えるのは早計)。また、脳梁のうしろにある膨大部という部分は、女性のほうが男性より大きいとか、前交連という部位は女性のほうが太い、前視床下部間質核という部位には男女差がある、といった構造的な違いが知られている。
 他方で、機能的な違いはどうか。これは脳の性差を紹介する本でもしばしば引用されているものだが、言葉を使っている最中に働きが活発になる部位が、男性と女性とでは違うという観察例があり、男性では左脳だけが使われ、女性では右脳左脳をともに使われる傾向があると報告されている。あるいは、異性愛の男性にくらべると同性愛の男性では、前視床下部間質核が女性のものに近いという報告などもある。
 以上のように脳科学では、生化学や神経学的な観点から脳の性差をあきらかにすることが目指されている。もっといってしまえば、物質としての脳の構造や機能の観点から性差が探究されているのである。このことを念頭において、次に、脳科学にかぎらないさまざまな脳性差論について考察してみよう。
■〈男女脳〉の人生論――念頭におきたいふたつのポイント

 書店に足を運ぶと、男の脳と女の脳の違いという観点から書かれた人生論的な書物が何十冊もならんでいる(「男と女」というテーマゆえか、多くは恋愛論だ)。大きな書店ともなれば、専用のコーナーもできてしまうくらいの量になる。
 これらは、先に紹介したような純然たる学術研究とはあきらかに違う。モノとしての脳を研究する学術研究が、直接的に生き方や恋の仕方を教えてくれることはない。かといって、作者の個人的な人生観や恋愛観をつづった随筆ともちょっと違う。あくまで脳科学の成果にもとづいていると称しているのだから。
 最近は本だけではなくて、雑誌やテレビ、ネットなどでも、こうした男と女の脳にかんする情報に接することが多くなった(本稿ではそれらを総称して〈男女脳〉と呼ぼう)。これらの情報に出合ったときに、どう接したら勘違いや思いこみにおちいらずにすむだろうか。また、それらをどのように位置づけ、評価したらよいのだろうか。
 すでにこうした〈男女脳〉の情報に親しんでいる人もいれば、なんだか怪しいなと疑いの目を向けている人もいることだろう。たしかに、そんなことは一人ひとりが判断すればよいことだし、また、究極的にはそうするほかない。でも、無用な誤解や混乱を避けるためにも、〈男女脳〉の話に接するさいに念頭に置いておきたいポイントがふたつほどある。細かく数え上げていけばもっとたくさんあるのだけれど、大枠としては次のふたつで十分だ。

 つづきは『バックラッシュ!』を最寄りの書店でお求めください! そして、脳と言える日本人になろう!(ウソ)