『デビューボの泉』第四回 : 反フェミニズム理論を知るためのガイドブック(略して反フェミのがいどく)

 あなたに向けられた憎しみを微笑みへと変えてくれる『デビューボの泉』へようこそ。今回取り上げるのは、半年ほど前に「レイマー氏を蔑(さげす)む林道義氏」「「レイマー氏を蔑(さげす)む林道義氏」への批判に答える」などのエントリーを発端にネット上でも話題になった、林道義さんの『家族を蔑む人々』です。中には読まず嫌いをしている方もたくさんいるかもしれませんが、林先生のすばらしい文章を読めば、きっとジェンダーフリーの危険性が分かるはず。林先生によれば、例えばジェンダーフリー教育のように男を男らしく、女を女らしく育てない教育方法では、次のような弊害がでる恐れがあるのです。

 男子を男らしく、女子を女らしく育てないと、価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。さらに、異性の関係がうまく作れないとか、セックスがうまくできないとか、同性愛に傾くとか、要するに生物として子孫を残すために必要な行動に支障がでる恐れがある予想される障害は、心理面から本能行動まで多岐にわたり、深刻である。
とくに男子の場合には、心理的に去勢されてしまい、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう者が出てきている。単に本能行動ができなくなるだけでなく、男性としてのアイデンティティを明確に持てなくなり、自信喪失、無気力、現実逃避などの弊害が出る。これらの害は男子に対してとくに大きくなるのである。
 こうした特長は女子から見ると「男らしさ」や「頼もしさ」「力強さ」の欠如と映り、男性としての魅力を感じることができなくなり、軽蔑するだけで、利用する対象としか見られなくなる。
 また女子は「女らしさ」を失って言動が男性化し、下品になり、たしなみに欠け、優雅さを失うので、男子から見て女性としての魅力を失い、尊重の対象ではなく単なるセックスの対象として見られがちになる。
 (…)ジェンダーフリー教育は子供たちから正常な心の発達を奪い取る危険がある。したがってこのままジェンダーフリー教育が広まると、五年後十年後には青少年の心の病が急増する恐れがある
 それを防ぐためには、男女の区別を科学的に正しく教え、そのうえで両性の分業と協力の正しいあり方について考えさせる教育が必要である。ジェンダーフリー教育は、愚かを通り越して、子供たちの健全な心の発達を阻害する犯罪と言うべきである。
『家族を蔑む人々』(p.69-p.71)

 引用だけでおなかいっぱいになりそうですが、林先生によれば、男は男らしく育てないと同性愛に傾く恐れがあるそうです。なるほど、文字通りジェンダーがセックスを規定しちゃうわけですね。バトラーは正しかったようです。もちろん恐れがあると言っているだけなので、仮に間違っていたとしてもジャロに訴えるのはどうジャロ。一方、女は女らしく育てないと男性化するそうですが、こっちは恐れではなく確定っぽいので、ソースを求めてもよさそうです。はて、この非対称はどうしてなんジャロ。

 最近の男子は腑抜けになり、無気力になって、まるで軟体動物のようである。ダブダブのズボンをわざとずり落として、シャツの裾を外に出し、これ以上だらしなくはできないというほどに汚らしい風体をして、ダラダラと歩いている。女性も下品で乱暴になってしまった。いまどきの女性たちは、「ネ」とか「ヨ」という「女らしい」語尾は、「男の美意識に縛られた従属した女性のしるしだから、恥ずかしくて使えない」と感ずるようである。女性の言葉もますます汚くなっている。とくに若い女の子に著しい。「…でサア」「…だ」「やつ」という下品な言葉を好んで使う。「めし食おう」と、わざと男言葉を使う。若い女の子の流行を、いい年をした年配の女性も追いかけて得意顔である。
言葉だけではなく、服装も振舞いも「がさつ」になった。女子高生は判で押したように「超」短いスカートをはいて、太股を露出している。その服装で地べたにあぐらをかき、タバコを吸う。
 (…)世界でもっとも発達してきた男性文化と女性文化の洗練された美意識を再認識して、守っていかなければならない。
『家族を蔑む人々』(p.75-p.77)

 「「超」短いスカートをはいて、太股を露出」するのも、それはそれで「女らしさ」の記号であるような気もしちゃいますが、林さんによればそれは男性化した結果だからダメなのです。言葉遣いなどの変化も、これまでの変化は「発達」ですが、これからの変化は「堕落」になりかねないのでフェミナチの洗脳には気をつけましょう。

 経済界が利用しようとしたフェミニズムの流行とジェンダーフリー教育がもたらしたものは、腑抜け男子とふしだら女子である。
無気力からくる引きこもりやニート(学ぶ・働く・訓練する意欲のない者)の大部分は男子である。日本の男子は「男らしさ」を否定されて骨なしの軟体動物のごとく腑抜けになり、シャツ出しとずり落ちズボンに象徴されるようなだらいない精神になりさがり、刹那的な享楽(ゲーム・セックス)にうつつをぬかしている。
 女子はといえば「女らしさ」を否定されて、つつしみも恥じらいもかなぐり捨てて、太股を露出してタバコを吸いつつ汚らしい風体で闊歩している。世界中で日本の女子高校生だけがもっとも「女らしさ」を否定しており、純潔教育も極端に低い(女子が男子より低い国は日本だけ)。
 (…)母性の不足は子供たちの攻撃性を増大させ、父性の不足は無気力を蔓延させる。どちらも子供の人格の発達を妨げる。(…)子供の数が減ることばかり心配しているのは間違いである。むしろ生まれた子供たちを正しく育て教育することのほうが何倍も重要である。ニート五〇万人と言われる現状は、安易にフェミニズムを利用して家庭をないがしろにする風潮を作ってきた経済界(と政治家)の責任も大きいのである。
『家族を蔑む人々』(p.105-p.107)

 林先生がヤンキー系ファッションにばかり目が行くのはなぜなのか気になるところですが、ニートの原因がフェミニズムにあるとは知りませんでした。おっと、林先生は「経済界(と政治家)の責任も大きい」と言っているだけでフェミニズムのせいだとは断言していませんでしたね。これは失礼しました。大人らしい配慮で、論争対策の勉強になります。なお、「ニート五〇万人といわれる現状」についての誤解を解くためには、本書にも原稿を寄せていただいている後藤和智さんらの『「ニート」って言うな!』がオススメです。

 若者の風俗や言葉遣いに年寄りが文句を言うのは、いつの時代も同じだと言う者がいるだろうが、しかし若者の人格や規範意識の崩れに対して、大人が危機意識を持たないというのは、いままでに決してなかった現象である。それどころかそれを肯定し、応援する大人の数が圧倒的に多い。だからこそ、若者の崩れがこれほどひどくなっているのである。
『家族を蔑む人々』(p.106)

 林先生の「最近の若いもんは…」という嘆きには、決して個人的な思い出でもなければ、老人の若者批判という歴史の反復などでは決してない時代的必然性があるのです。なにせ、現代社会では若者に迎合する大人の数が圧倒的に多いのです。統計データ? 本には一切書いていませんでしたが、きっと学問的で科学的な林先生なら持っているはずなので、気になる人は直接問い合わせるといいと思います。また、林先生によれば、時代的必然だけではなく脳科学ユング理論などに基づく根拠もあるようです。

 フェミニストは性差を「生物学的性差」(セックス)と「社会的・文化的性差」(ジェンダー)に機械的に分ける。しかし、この両者をはっきりと分けることが不可能であることは、今日では脳科学の発達によって科学的に完全に証明されている。(…その結果)「生物学的な」違い以外にも、男女の心理的な違いや感覚的な好み(色に対する好みなど)の違い、またそれらに基づく行動様式の違い、そして「男らしさ・女らしさ」といった文化的な性差と考えられてきたものも、生まれつきのものが基礎になっていることが明らかになっている。そもそも男女では、生まれつき本能行動の違い、元型的イメージ(ユング)の違い、心理的性向の違いがある。そうした生まれつきの違いを基礎にして、文化的性差が発達したのである。(…)
フェミニズムの「ジェンダー」理論は、人間の心は生まれたときは白紙だという認識を前提としている。この心の理解はフロイト心理学に対応している。フロイトも人間の心は生まれたときは「白紙」tabula rasa(何も書かれていない白い板)だと考えた。そこにいろいろ経験したことが描き込まれていく。無意識の中には何もなくて、意識が経験したことが忘れられたり抑圧されたりして沈殿し、無意識を形成すると考えた。
それに対してC・G・ユングは、人間には生まれながらにして無意識の心の動きを持っており、その基本的なパターン(元型)を基準にして外界を認識したり、行動を決めたりしていると主張した。人間の心理や行動様式には、生得的な部分が以外に多いと見たのである。フロイトユングのどちらが正しかったかは、今日では脳科学の発達によって完全に決着がついている。
『家族を蔑む人々』(p.31)

 林さんは「この議論は完全に決着がついている」「フェミニズムは完全に破綻している」というような言い回しをとても好む男らしい方です。決してさっさと既成事実化したいわけではありません。それはともかく、林先生は『父性の復権』などでもユングの理論等をベースに「父性の条件」「父の役割」を説明していました。そして、これまで発達してきた「男らしさ」や「女らしさ」という文化は、脳科学ユングの理論等によっても証明されている「自然」に基づいて発展してきた「日本文化の誇るべき型」であると説いています。なるほど。ちなみに林先生は macska と論争した際、

 私は「男とはこうあるべき、女とはこうあるべき」という「政治的」主張はしていない。どうして「べき」という言葉を勝手にデッチ上げるのか、理解に苦しむとしか言えない。ましてや、「べき」という基準からはずれる男女が「精神的に不安定になり心理的な問題を抱える」などとは私は一言も言っていない。また、そんなユング解釈をどこでもしていない。
 (…macskaは)私のジェンダーに関する理論がユング心理学を前提にしているはずと思い込み、私の説を勝手に捏造した上で、「林氏が「男らしさ」「女らしさ」を守るべきだとする理由が彼なりのユング解釈に基づくものであるのであれば、それを明らかに」せよと言っている。だが、これまで私はジェンダーの問題をユングと関係づけたことは一度もない。
「思いつきでしかない「ジェンフリ教育の弊害」/林道義氏への返答」参照

 と仰っていたような気がしますが、たぶん気のせいなので見なかったことにしましょう。
 かように不自然なジェンダーフリーはなんとしても打倒しなくてはなりません。そこで林先生は「政治的」に次のように呼びかけます。ちょっと長いですが、重要なので我慢して読みましょう。

・「男女共同参画」運動はその勢力が周到に準備し遂行している革命戦略の一環である。(…)ジェンダー否定は「文化」を貶めようとする思想である。(…)何のために貶め、何のために否定するのか。それは革命(階級闘争)を勝利に導くためである。その目的のために、現体制の秩序を乱し、道徳を崩し、価値観を混乱させ、体制を弱体化させるのが彼らの隠れた動機である。(p.80)
・これらの革命政党の特徴として、いかなる組織の中にも潜り込み、仲間を引き込み、増殖し、乗っ取るという特徴が見られる。とくに大学や研究所、行政やマスコミはそうした作戦のターゲットになりやすい。それらの組織の中で自らの息のかかった大衆組織を作り、それを背後で操るという、コミンテルン以来の伝統的オルグ・組織化の方法は、フェミニズム運動の中にも持ち込まれた。地方議員、国会議員、地方自治体や行政府の公務員、学者、弁護士、ジャーナリストなどのグループごとにそれぞれ組織を作り、それを非公然の革命勢力が裏で指導するという体制が取られている。(…)フェミニズム運動は、革命勢力が背後にいて、綿密に戦略を立て、組織化し、オルグや指導をしているのである。きわめてしたたかで執拗な精神力を持ち、徹底した理論武装を施され、整然と組織立った動きをする、一種の軍団だと認識する必要がある。(p.82-p.83)
男女共同参画社会基本法も同様の過程で成立している。これは合法的な粉飾を施したクーデターと言うべきである。(p.86)
・いまやフェミニズム勢力は上からの権力を使ってジェンダーフリー教育を組織化しようとしており、子供たちを洗脳することを狙っているのである。(p.90)
・「子供」「家族」「家庭」をめぐる攻防は、いまやフェミニスト良識派の戦いの天王山である。フェミニストは家族の健全な枠を崩すことに躍起になっている。なぜなら健全な家族を守るか掘り崩すかが、健全な社会を守るか崩すかの天下分け目の戦いになるからである。「家族」を子供たちにどう教えるかは、いまや戦略上もっとも重要な争点となっている。(p.91)
・この事態にじれたフェミニストたちは、一挙に本丸を落とす作戦に出た。男女共同参画社会基本法がそれである。(…)これは本丸を占拠された状態というだけでなく、錦の御旗を奪われた状態と言わざるをえない。(p.94-p.95)
・日本のフェミニズムは当然のことながら世界フェミニズム運動の一環にすぎない。フェミニズムは形を変えた世界革命運動であり、したがってかつてのスターリニズムの総本山であるコミンテルンの組織・運動形態をほとんどそのまま踏襲している。いまはその総本山の役目を国連が背負っている。(p.97)
・(保守派は)フェミニズムから錦の御旗を取り戻さなければならない。(p.109)
・保守派よ、目覚めよ。そして総反撃に移れ。(p.110)
ジーク・デビューボ!(p.112)

 えーと、最後の一行はウソです。それはさておき、前回の西尾さんらのリアリティは『マトリックス』のそれに近かったように思いますが、林先生の場合はむしろ『スターシップ・トゥルーパーズ』を髣髴とさせます。但し、これはSFではなく現実なのです。え、信じられない? も、もちろん学問的な林先生なら、非公然の革命勢力が存在するという決定的証拠を持っているはず。け、決して想像や自分のリアリティの投影ではありません。このブログも革命勢力の綿密な戦略の一環のはずなので、気をつけたほうがいいかもしれません。このブログをごらんの皆さんも、ぜひ目を覚ますようにしましょう。ザメハ!
 というわけで今回は「フェミニズムへの理論的批判」のクオリティの高さに敬意を払いつつ、クオリティが高すぎてちょっと影響力はなさそうだなあと思い、78デビューボということにします。おめでとーございまーす。
 さて、明日は本稿からコラムを少しだけ紹介したいと思います。いやあ、『バックラッシュ!』発売まで間もなくですね。大人買いして、当てろキラカード!(ウソ)