「ジェンダーフリーは伝統文化を破壊するか」
こんにちわ、みなさま。今日は、本書に掲載されているコラムから「ジェンダーフリーは伝統文化を破壊するか」をご紹介します。「伝統」をめぐっては、「否定」「破壊」や「反対」「批判」等のニュアンスの違いやそれらが用いられる文脈を混同した議論が多い中、基本的なスタンスを確認することは重要かと思います。それではご覧あれ。
【ジェンダーフリーは伝統文化を破壊するか】
おさらいになるけれど、ジェンダーフリーとはそもそも、「伝統的」とされる男女の固定的な性役割分担や「男らしさ・女らしさ」といった特定のあり方が、人びとに制度的に押し付けられることを批判し、性別によって制限されることなく、人それぞれの多様な生き方が尊重されるべきだとする立場やスローガンのこと。そのため、特定の「男らしさ・女らしさ」を強要するような社会のあり方、たとえば企業における雇用慣行や政府の育児支援政策などを改善していくべきだと主張する。
では、そういった公的領域をはなれた私生活の場面、たとえば家族や民間伝承や宗教の「伝統的」なあり方についてはどうだろう。仮に、それらに性役割分担や特定の「男らしさ・女らしさ」を強化する要素があったとしても、だからといって外部から一方的に断罪することは、ジェンダーフリーが理念として掲げていた「多様な生き方の尊重」に反することになりかねない。もし本当に「多様な生き方」を尊重するのであれば、「伝統的」とされる生き方を選択することも、非「伝統的」な選択とともに尊重されるものだからだ。
しかし、他者の選択を尊重するということは、さまざまな選択について何ら意見を持ってはいけないということを意味しない。ジェンダーフリーの観点、すなわち特定の「男らしさ・女らしさ」の強要をなくしていこうという立場からの「このような家族を築こう」「このように伝統行事を祝おう」といった提案は、それが強要をともなわない限り、あっていいはずだ。そういった呼びかけをとおして、それまで意識されなかった選択肢を意識し、「伝統的」なライフスタイルを、ただ単に惰性で享受するのではなく、主体的に選び直す機会を得ることは、その人の自由度を高めるといえるだろう。
もちろん、こういった私的領域における呼びかけは、基本的に公的権力がおこなうべき性質のものではないし、一部のバックラッシュ勢力が宣伝しているような「ジェンダーフリーの理念にもとづく男女共同参画行政が、ひな祭りや端午の節句を否定している」という事態は、現実には起きていない。ジェンダーフリー論者がひな祭りや端午の節句のあり方について何か意見をいうことがあっても、それは何よりもまず、公的権力による干渉を受けずに、人びとが多様な生き方を追求できるべきだという大きな前提に立ったうえでのことだからだ。
さて、明日は発売目前にせまった『バックラッシュ!』の直前状況をレポします。発売前の出版社は果たしてどれくらいドタバタしているのか。バカ売れを予言するために双風舎に七福神がやってきたとか、危険を察知してネズミが逃げ出したとか色々なうわさが飛び交っているけど、真相はどっちだ!(ウソ)