山口智美「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」紹介

 さて今日から毎週月曜日には本書『バックラッシュ!』から気になる各論文のサワリの部分を紹介していきます。今回紹介するのは、シカゴ大学東アジア研究センターで研究員をされている山口智美さんの論文「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」です。山口さんと言えばブログ「ふぇみにすとの雑感」や斉藤正美さんとの共同サイト「『ジェンダーフリー』概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」などで読者のみなさまもご存知かもしれません。反「ジェンダーフリー」論者が一緒くたにして批判しているフェミニズム男女共同参画行政との関係が本当のところはどうなっているのか、あるいはフェミニズムは行政に対してどのようなスタンスで接すればよいのかを考えるために、日本における草の根女性運動の歴史に詳しい山口さんに論文を書いていただきました。ある意味、この本で最も重要な論文かもしれません。続きを読みたい方は、いますぐ『バックラッシュ!』をご予約ください

 1995年前後は、日本の女性運動にとって、重要な転換点だった。 1994年、男女共同参画審議会が作られたことで、耳慣れない「男女共同参画」という言葉が登場し、1995年には、同審議会による「男女共同参画ビジョン」と「男女共同参画2000年プラン」の中で「ジェンダー」という言葉が登場した。そして、「ジェンダー・フリー」という言葉も東京女性財団 によって紹介された。同年の北京の世界女性会議以降、「エンパワーメント」というカタカナ言葉が流行る一方、「ジェンダー」という言葉も新聞などでちらほら見かけるようになっていた。
 その一方で、この時期、「フェミニズムは終った」「ポストフェミニズム」といったような記事もよく見かけた。 当時アメリカ・ミシガン大学の大学院生だった私は、1996年の6月から、約3年にわたった東京での日本の女性運動のフィールド調査を始めたところだった。 ちなみに、私が博論テーマとして選んだのは、1996年の年末に解散した「行動する女たちの会」だった。解散すると聞いて、何となく事務所の「ジョキ」を訪れて、会員の方々と話したり、引っ越しのための掃除作業をしたり、宴会に出たりしているうちに、研究テーマに自然になってしまった感じだった。そして、 会の解散をメディアは、「フェミニズム断絶の時代」のシンボルとして扱った。 同じ時期に、家庭科の男女共修をすすめる会、日本婦人問題懇話会なども解散直前の状態にあり、両団体とも間もなく解散した。
 行動する会の解散の理由は複雑であり、ここでは深く言及できない。だが、行政による女性問題への進出が背景の一つとしてあったのは確かだ。 草の根女性運動と比べて、圧倒的に莫大な予算をもつ行政が、今まで女性団体が地道に作成し、売ることで活動資金の足しにしてきたパンフレットの類いを、より大規模で、美しいカラー印刷などの形で、無料配布してしまう。そして、 啓蒙を主目的とした行政政策に基づき、バブル期に建設された立派な女性センターなどで、様々な講座が開かれるようになっていた。古い雑居ビルにはいっていた会の事務所と、立派でピカピカ光る女性センターの建物とのあまりの違いに、当時日本の女性運動体の状況をよく知らなかった私は、驚いたものだ。
 また、大学では女性学の講座も以前よりは確実に増えていた。だが、そういった行政や大学講座の類いから既存の女性運動で活動するケースはそう多くはなく、あったとしても行政の周辺への参加だった。そして、行政や女性学に批判的なスタンスで活動することが多かった行動する会のような団体に新しい会員がくることはほとんどなくなっていた。会が20年間、一貫して運動の一大目的とした「性差別撤廃」という言葉は使われなくなりつつあり、その一方で「男女共同参画」というわかりづらい言葉が広がりつつあった。「女たちの会」という会の名前すらも、「男女共同参画」という行政のスタンスとの違いを如実に表していた。
 70年代から続いた、行動する会などの女性団体が解散していき、「性差別撤廃」や「性別役割分担」などから、「男女共同参画」、また「エンパワーメント」、「ジェンダー」、そして「ジェンダー・フリー」などのわかりづらい言葉やカタカナ言葉が登場してきた、転換期がこの頃だったように思う。そして、この流れの中、主導権を握ったのが、学者がリーダーシップをとる行政プロジェクトならびに運動体になっていったのだ。女性学、行政が非常に密接な関係をもって、女性運動をとりこんでいった流れだともいえる。また、「男女共同参画」という言葉によって、その流れに男性学者たちも参入しやすくなっていった。
 このように、従来の女性運動に関わってきた層よりも、むしろ行政と女性学者、男性のジェンダー学者が組み、引っ張ってきた「男女共同参画」という側面がある。そして、現在のバックラッシュの大きな特色として、本来「安全」だったはずの行政や女性学、そしてジェンダー研究などが、「過激」として叩かれているということが挙げられるだろう。
 この、「フェミニズムは終った」言説から「男女共同参画」「ジェンダー・フリー」の登場、そして「過激なフェミニズム」としてフェミニズムが攻撃されるバックラッシュへと推移した、90年代中盤からのフェミニズム運動をめぐる状況を追ってみたい。 ここでは特に95年に、行政と学者によって紹介され、広げられていき、ある意味フェミニズム・バッシングのシンボルとさえなっている、「ジェンダー・フリー」という言葉のたどった歴史に焦点をあててみたい。


(つづきは本書『バックラッシュ!』で…)

 さて明日は、このブログの運営者の一人、chiki がお届けする爆笑バックラッシュ妄言コーナーとなります。バックラッシュ本とあればどんなにくだらない本でも収集し、取り寄せてでも購買した本多数、図書館でコピーした『正論』ほか保守言論誌のページ数は4ケタと豪語する猛者 chiki が発掘したとっておきの症例をご期待ください。コレクターを極めて、出るぞ『なんでも鑑定団』!(ウソ)